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行動と思考のモデル化を考える(5)
「国会月報」1993年9月号(新日本法規出版)掲載
江下雅之
地球は狭くなったという感慨は、ここ何十年折ある毎に抱かれているに違いない。このような実感を抱かせる要因は、交通手段と情報通信メディアの発達であろう。航空機の大陸間直行便の増加、高速鉄道網や高速道路網の拡充等は、実際に移動時間を著しく縮小させた。日本の田舎からフランスの田舎まで、ドア・トゥ・ドアで24時間かからなくなった。航空機の高速化や交通アクセスの改善で、所要時間は一層短縮できるという。地球はまだ狭くなりうるのだ。
メディアの発達によって地球が狭くなったとの感慨は、最近では善し悪しは別にして、湾岸戦争で展開された戦闘のライブ中継で痛感させられた。また、海外在住者にとって、新聞の衛星版も陳腐な表現ながら世の中の便利さを実感させる。
さて、今また個人間のコミュニケーションで用いられる情報通信メディアの発達により、地球は一層狭くなろうとしている。しかも、この発達は我々の社会的な行動パターンを大きく変化させる可能性を秘めている。
行動パターンに及ぼされる影響を述べる前に、日米仏の3ヶ国で発達している世界的に見て特徴的な情報通信メディアの例を示してみたい。
まず日本から見てみよう。具体的数字は明らかではないが、おそらくファクシミリの普及が世界で最も進んでいるものと推測される。最近の機器販売動向から判断すると、一般消費者の間でも普及が進みつつあるようである。世帯普及率は既に5%を越えたとの推測もある。個人でもファクシミリで買い物の注文を行うことが出来るほか、様々な情報サービスが提供されいる。普及率が高まることで、さらに一層多様な利用形態が登場するものと予想される。
次いで米国。パソコンの世帯普及率が30%近くにも達し、これらを結んだパソコン通信網が発達している。利用者数は200万以上とも言われている。パソコン通信で利用可能なサービスは実に多彩であり、この紙面を以て提示しきれるものではないが、一種の会話、サークル活動、買い物、情報提供サービス等が行われている。通信によって遥か遠くにある安売り店からモノを買うことができ、また、一面識もないメンバー間でさまざまな問題に対する議論が行われたり、一種のコミュニティー活動が展開されている。通信には地理的移動に要する時間的制約がないこと、この種のメディアがもたらす覆面性がかえって交流を促す側面があることなどの理由から、個人の交際範囲が一気に拡大するのである。
因みにパソコン通信が米国に次いで発達している国は日本であり、パソコン通信サービス全体の登録者ユーザ数合計は100万を越えている。
最後にフランスである。ここではミニテルと言う通信メディアが普及している。それどころか、この種のメディアが成功を納めた現在までのところ世界で唯一の国である。ミニテルとは電話回線を介して簡単な端末で情報センターのサービスを利用するメディアで、一般にはビデオテックスと呼ばれている。日本ではNTTのキャプテンが相当する。フランスでミニテルが成功を納めた理由は省略するが、約600万人以上の企業及び個人ユーザがミニテル利用している。不動産取引、恋人・愛人探しから大学の登録や行政の案内までサービスとして扱われている。選挙の季節になると、政党のアピールがミニテルで発表されるなど、政治の世界でも利用が進んでいる。
メディアの発達は従来消費生活に大きな影響を及ぼしてきた。特にコンビニエンス・ストアや宅配業者の情報システムは、常に情報化の最先端事例として取り上げられている。当然上に示したメディアは個人の消費活動に変化を及ぼすものと予想される。メディアの発達がそのまま小売り業を代替することはないにしても、消費者の購買形態に従来とは違ったパターンをもたらすことは間違いあるまい。
最近の通信メディアの影響は、むしろ個人の社会的な活動に関わっている点が注目される。社会的活動で行われるコミュニケーションの基本は、人が会って話すことである。ところが、人と会うことは手続きの上で案外と多くの過程を踏む必要がある。まず会うべき人を求め、連絡を取り、約束を取付け、会うべき場所に移動する。この煩雑さが活動の範囲や量にある程度の制約を科しているのは事実であろう。通信メディアにはこの制約を解消する可能性がある。
既に多くの研究者が指摘する通り、最も緊密な情報交換は人対人の対面で実現され、通信メディアはあくまでそれを補完する役目にすぎない。メディアを利用する場合であっても、面識のある者同士の方が緊密なコミュニケーションが行われる傾向もあるという。とはいえ、電話や手紙によるコミュニケーションに比べ、より多くの機能を提供していることも事実である。面識のないぎこちない関係と、知合い同士の緊密な関係との中間段階に位置し、いわば仮想的な人間関係を築く点でこれまでにない特徴を持つコミュニケーション形態と言えよう。
通信メディアの影響及び威力は、研究活動において顕著に現われている。研究者の間では、現在「電子メール」と呼ばれる通信手段が世界的規模で普及しつつある。無論日本の研究機関でも例外ではない。電子メールとは極く簡単に言えば、ワープロで作成した文書を通信回線で送受信する仕組みである。このような仕組みが普及するに至った背景は、当然のことながらパソコン等の普及といえよう。まだ出版に至らない論文の交換、アイデアに対する議論、専門家向けのアンケート等が行われているため、電子メールを使用しないと研究が出来ないという分野も少なくない。現代の研究者に必須な学際領域の人脈形成に、絶大な威力を発揮していることは言うまでもない。
ドアの向こうは外国、というのは旅行業者のキャッチである。ドアまで行かなくてもディスプレイの向こうには外国がある、そのような世界が情報通信によるコミュニケーションで築かれつつある。