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ネットワーク・ライフ(2)
「国会月報」1993年11月号(新日本法規出版)掲載
江下雅之
前回はメディア普及の条件として、環境整備と新しいライフスタイルの提案が必要なことを述べた。また、普及拡大の過程で、企業やマニアの役割が大きいことも示した。今回はパソコン通信などの通信ネットワークに関し、普及過程で先駆者が果した役割と、その重要性について示してみたい。
ハイテク関連分野でのマニア像は、世間一般では必ずしも芳しくないらしい。パソコンやビデオのマニアというと、時には奇人・変人というニュアンスが込められている場合すらある。ところがハイテク分野一般では、マニアの役割は決して小さくない。例えば、コンピュータ・ウィルスを生みだしたのもマニアなら、それを防ぐワクチンを開発するのもマニアである。一方、要求の特に厳しいマニアは、マーケットアナリストから「深海魚族」と呼ばれることがある。要求のことごとくが専門的に見て高レベルにあるため、深海魚族の評判が将来性のバロメータとなることが少なくない。
ところで、新しいメディアが一、二年程度で普及することはまずありえない。ビデオやコンパクトディスクなど比較的普及の早かったメディアでも、一般消費者に認知されるまでには商品化から十年近い期間が必要であった。従来の経験法則によれば、新しいメディアの普及には十五〜二十年くらいを要するのが普通である。普及に時間がかかるのは、一つには料金・価格の問題、また一つには、広い意味でのソフトの問題である。特にソフトの成熟に関しては、消費者の認知という問題が絡んでくる。
ごく一般的な財・サービスの場合、需要量が増せば価格は低下し、それに連れて内容も洗練される。従って、需要初期段階では価格も高く、利用やサービス・ノウハウなどもまだ十分に開拓されていない。このままでは「サービスが悪い、価格が高いから普及しない」「普及しないから価格が高い、サービスが悪い」というジリ貧状態に留まってしまう。
メディアの場合も同様である。これを「普及が進むからサービスも充実し、価格も下がる」「価格が下がってサービスも良くなるから普及も進む」というスパイラルに転換させてきたのは、従来は一種のイベント効果や戦略的価格の設定などによる企業努力であった。三十数年前の皇太子(現天皇)ご成婚は、テレビの普及を促したイベント効果であった。しかし、最近の消費者は、新しいものに対しかえって保守的反応を示すことが多い。経済的豊かさが増し、どうしてもほしい、必要だというものが相対的に減ったためであろう。新しいモノやサービスがなくても、「今まで不自由しなかった」のだ。
確かにメーカーはビデオを普及させた。しかし、それ以降のヒット不足が今では深刻になっている。このような現象は、通常「消費者ニーズの多様化」で説明されることが多い。しかし、メディアに関する限り、現実には技術ばかりが進んだために、何をどう使えばいいかが分からなくなっている状態と言ったほうが適切であろう。ニーズが多様化したのではなく、何にニーズを見出すべきか、どういう利用イメージを抱くべきかが分からなくなっているのである。
このようなニーズ喪失状態に方向を示すことが、マニアという側面を持った先駆者の役割である。
通信ネットワークの先駆的ユーザー(以下では「ネットワーカー」と呼ぼう)には、開発者としての顔があった。エンジニアとして問題点を追及してきた。無論、アマチュアの指摘だけで全てを解決できるわけではないが、先駆者が開発したソフトウェア、提案してきたサービスは少なくない。
ネットワーカーにはもう一つ、宣伝マンとしての顔があった。ネットワーカーは頼まれもしないのに、通信ネットワークの魅力や用途について宣伝を行ってきた。特に報酬を得るわけではないのに、新しい利用方法や性能を引き出そうとした。
コンパクトディスクにおいても、ジャズやクラッシックのマニアはその音質の素晴らしさを称賛した。映画ファンは自分のビデオライブラリーを繰り返し自慢した。このような行動が、実際に、初めはそれほど感心を抱かなかった一般消費者の購買意欲をくすぐったと考えられる。ビデオなどが普及した要因は他にもあるが、先駆者となったマニアの役割は、間違いなく最も大きな要因の一つであった。
ビデオテックスやCATVなどでは、進んで宣伝を行ったり、自ら利用スタイルを提示した先駆者がいなかった。
パソコン通信の利用者と言うと、閉鎖的な世界に閉じ篭ったイメージを想像しがちである。しかし、多くの社会心理学者の研究によれば、通信ネットワークを頻繁に利用する人ほど、人との直接交流を好む傾向が強いという。パソコン通信には、出会いのきっかけとして利用される側面が強いのだ。実際、ネットワーカーの最大の特徴は、驚くほど巨大な人脈である。初期ユーザーの多くはアメリカの通信サービスから利用し始めたため、数日程度の渡米経験がほんの一二度しかなくても、全米各地に親しい「知己」を持っている例が珍しくない。初対面の彼らが交わす挨拶は、たいてい「やあ、久しぶり!」だそうだ。
コミュニケーション論によると、どのような社会でも Gate Keeper と呼ばれる役割を果たす者がいる。これは外界とのパイプ役であり、外部の情報を自ら進んで収集し、自己の所属する世界に伝達する。ネットワーカーは多くの場でGate Keeper となっている。社会活動の中で人脈や情報量は最大の価値を占めるのであるから、このような人がパイプ役を果すのも不思議ではない。
研究開発現場では、Gate Keeper が境界領域の話題を提供することが多い。目的指向の明確な組織体系では、常時把握可能な情報の範囲が限定されるからである。Gate Keeper の質及び量が研究機関のレベルを決めるとも言われるくらいであるから、研究者の間で瞬く間に通信ネットワークが普及したのも当然である。
次回は研究現場の通信ネットワークにも触れてみたい。