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「国会月報」1994年10月号(新日本法規出版)掲載
江下雅之

情報民主主義への期待と課題(3)

誰でも自由に意見を言える——これが情報民主主義を支える理念のひとつだ。最近は組織運営面でも、このような「民主化」の動きが見られる。しかし、この理念を実現するにも前提条件があり、それを無視したのでは、単にあらたな煩わしさを招く結果となりかねないことに、注意が必要だ。

風通しの良さとノイズの直撃

 なにかとしがらみの多い日本社会においては、自由にモノを言えることは、それ自体が大きな価値であると考えられている。そのような状況がまた、情報民主主義に対する期待の背景にもなっているのだろう。実際、社会の成熟度をはかる目安として、言論の自由度は大きな指標のひとつだ。その普遍的な価値を否定することはできない。しかしながら、誰でも自由にモノが言えるということは、聞く立場に立ってみれば、必要のないことまで耳に入ってくることにもなる、という事実に留意すべきだろう。流通の促される情報は、都合のいい意見だけではないのだ。

 最近は、組織運営においても、情報民主主義の理念が注目されているようだ。大規模な組織形態の弊害として、本当に必要な情報や末端のニーズが、がしかるべき意志決定権限者に伝わりづらくなった、という点がしばしば指摘される。その結果、「誰でも意見が言える」「末端の意見がトップに即伝わる」仕組みが注目され、硬直化した官僚的組織に風穴をあけるものと評価されつつある。

 組織は人間社会を運営するための仕組みだ。その形態や運営ルールは、長い歴史を経て形成されるものだ。その多くが必然的な存在理由を持つものである。「官僚的組織」といった場合、不合理や不効率を象徴することが多いものと考えられる。とくに情報流通が重視される最近の組織運営では、「官僚的」とは、情報がなめらかにやりとりさてていない、必要な情報が意志決定者にうまく達しないことを意味することもある。

 しかし、前述のような組織の必然性を考えれば、これもステレオタイプのひとつといえるだろう。とはいえ、組織運営がなんらかの要因で硬直化したとき、情報流通の動脈硬化のような現象が生じるのも当然といえば当然だ。

「直訴」の功罪

 情報民主主義を議論するとき、組織運営の面では、ヒエラルキーを飛び越したコミュニケーションの関係が注目されることが多い。たとえば、ヒラ社員が社長に直訴し、社長がそれに応える、といったようなことだ。日本の大企業や官公庁であれば、階層に応じた指揮系統が明確に確立されている。業務上の情報は各管理層を経て決定権限者に達するのであり、末端社員の意見が経営層に直接伝えられることは、例外的な行為だ。

 最近、組織内の電子メール・システムが、このような構造に風穴をあける道具として注目されている。従来までの稟議書類を中心とした情報のフローは、たしかに階段をひとつづつ昇るような形で情報が伝わっていた。物理的な「紙」という形態を持つ書類は、ひとの間を伝わるのに、実際のところ多くの手間がある。それに対し、電子的な情報の流通システムは、物理的な距離や時間の制約からまぬがれた情報のやりとりが可能だ。これまでの多くのネットワーク利用事例に見られるとおり、組織内の電子メールのような仕組みは、情報をやりとりするひとの間にある垣根が相対的に低くするといわれている。ヒラが社長にモノを言いやすくなるのだ。

 マーケティングの場面でも、消費者とのやりとりが直結されるようになれば、たしかに新鮮な情報をえられるだろう。自分の意見が思うように伝わらないジレンマを持っていたものにとって、しかるべき意志決定権限者に直結できるシステムは、まさしく待望久しい道具ということになるだろう。また、意志決定権限者にとっても、現場のナマの情報を吸収できる、必要な情報を瞬時にして得られるという利点を感じとれるだろう。情勢変化の激しい現代社会において、このような仕組みはまさに急務だと考えられることだろう。

 しかし、このような風通しのよいシステムでは、あくまでも情報一般の流通が促されるのであって、「必要な」情報のみを迅速に得られるというわけではないのだ。シャノンの通信理論に見られる通り、情報量が増えれば、それだけノイズも増えるのである。最近の情報システムをめぐる議論では、このノイズの問題がおろそかにされがちなように思われる。

責任の所在

 情報民主主義が意図している社会は、参加者の対等な関係が基本になっている。そこでは地位による上下関係ではなく、役割の分担が内部での関係を形成している。参加者には、役割に応じた明確な自己責任の原則が、求められている。この点、日本の一般的な大企業や官公庁でとられている組織形態は、情報民主主義で考えられている「組織」とは根本的に異なるものである。

 とくに責任の所在に関しては、まったく異なる発想といえよう。日本型の組織では、個人に対する責任の集中を避ける工夫がある。個人に集中されるリスクを分散させるのが特色の一つであった。同時に、情報伝達の面でも、官僚的な組織形態はノイズの除去が期待できる。このような特色には、当然ながら利点と欠点とが存在する。最近では、欠点が大きく注目されているようだ。たとえば、責任の所在が明確でないため、必要な決定が遅れがちになるといった点だ。

 以上のように考えてみると、組織の情報民主化という要請は、従来の組織に対するマイナス面がクローズ・アップされた結果のものといえよう。さらに、組織を情報民主化するためには、単に情報システムなどを利用して流通を促す「うつわ」を作るだけでなく、組織のあり方を根本的に変える必要がある。それなしでは、一見して多くの改善が見られる——つまり、情報の流通が活性化・円滑化されるように見えても、遅かれ早かれノイズの氾濫を招き、意志決定権者側が身動き取れなくなるような状況を生じさせるであろう。

 電子メール・システムなどの導入成功事例を見ると、おおむね「意見を述べる」側の論理が注目されがちなように思われる。しかし、組織形態の根本的な変更を伴わない「情報民主化」は、「意見を聞く」側のパンクによって破綻が生じる危険性もあるのだ。


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