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ネットワークとマルチメディア
データパル95-96年版(小学館/発行、1995年3月20日)pp.72-73掲載
江下雅之
情報通信技術の話題は、ほぼ十年周期でブームを迎えるようだ。ここ一、二年は、ネットワークとマルチメディアが主役の座にある。
八十年代の半ばごろには、いわゆるニューメディア・ブームがあった。これはたしかにブームで終わったが、当時と現在とでは、コンピュータの浸透という根本的な違いがある。これが、ネットワークおよびマルチメディア・ブームの背景には、このような環境変化があるのだ。
八十年代の後半は、コンピュータの高機能化と低価格化が進んだ。個人でも高性能のパソコンを手に入れやすくなったのだ。
また、八五年前後にアメリカ、そして日本で通信事業の自由化が進んだ。このような状況が、パソコン通信に代表されるネットワーク・サービスを離陸させたことは間違いない。
パソコン通信は便利さや面白さが認められるにつれ、さまざまな遊びかた、仕事への応用が開拓されてきた。現在、日本の最大手サービス PC-VAN および NIFTY-Serve では、七十万以上の ID が発効されている。アメリカの最大手 CompuServe は二百万 ID だ。
他方、研究者の間では電子メールを交換する仕組みが発達してきた。インターネット Internet という公共のネットワークだ。そのルーツは六九年にアメリカの国防総省が運用を始めた ARPANET だ。
研究活動とネットワークとの関わりは、オンライン・データベースから本格化したと考えていいだろう。そして八〇年代には、いわゆる「灰色文献」の需要が研究者間で強まった。
この時期、研究者の手元にワークステーションと呼ばれるコンピュータが普及しはじめた。灰色文献の交換や会見の連絡などで電子メールの機能が認められると、通信ネットワークは爆発的な拡張を始めたのだ。
これが今日の「インターネット」のすがたであるが、九四年現在、電子メールを交換できる地域は全世界一六〇ヶ国にまたがり、利用者数は三千万人を突破しているという。その数は、九五年中に二億を突破するのでは、と予想されるくらいの増加ぶりだ。
通信ネットワークの発達は、実際の生活や仕事にどのような影響を及ぼしつつあるのか。はっきり認識しなければいけないのは、われわれは出版、放送、そして電話に次ぐメディアを獲得しつつあることだ。
あたらしいメディアは、あたらしいビジネス、あたらしい文化を生み出す。グーテンベルグの発明は、出版というビジネス、文学という文化を生み出した。放送や電話も同様だ。そして、ネットワークもまた、あらたなビジネス・チャンス、あらたな文化を生み出そうとしている。
われわれ現代人は、メディアの伝える情報のなかで暮らしている。多くの現状認識が、メディアの伝える記号によって形成されるようになった。
社会の一部がすでにメディア上で形成されつつある——このこと自体は、八〇年代から指摘されている。カナダのメディア学者マーシャル・マクルーハンは映像メディアによる「地球村 Global Village」を予言し、アメリカの社会学者ゲイリー・ガンパートは、共通の関心を求心力とし、雑誌などのメディアを媒介とする「地図のないコミュニティ」を指摘した。
通信ネットワークは、「地球村」や「地図のないコミュニティ」を明確に実現しようとしている。
たとえば私は現在パリ在住であるが、日本、アメリカの「仮想社会」にも住んでいる。ディスプレイに、アメリカや日本を呼び出すことができるのだ。パソコンを小さな信号変換装置経由で電話線につなぐ。これだけのことで、世界中のひとと交流できるのだ。
ビジネスの世界でも、すでに通信ネットワークの利用は浸透しはじめている。ただし、進んでいる分野が突出しているため、多くの日本人がそれに気づいていないだけだ。
たとえば、若手・中堅作家やフリー系のライター、翻訳家の一部では、情報交換や原稿の納品をネットワークでおこなうのが常識となっている。プログラマやデザイナーでも、同じような状況がある。実際、どこにいても仕事ができるため、東京から地方に移住したグループも増えつつある。
アメリカのジャーナリストとなると、ネットワークの利用はもっと徹底している。取材現場で記事をパソコン入力し、すぐさま本社に転送する。国際会議などでは、データ転送に便利な ISDN 公衆電話が必須となっている。
個人の裁量で仕事を進める余地の大きな職種ほど、ネットワークの利用は進んでいると考えていいだろう。これは活動の自由度を、大幅に拡張する手段となっているのだ。
パソコン通信やインターネットを中心としたネットワーク、そして CD-ROM や映像メディアを対象としたマルチメディアのブームは、米国ゴア副大統領が提唱した全国情報インフラ(National Information Infrastructure : NII)、通称「情報スーパーハイウェイ」でピークを迎えたようだ。
この構想は、九二年夏、全米のスーパーコンピュータを通信ネットワークで結ぶ「データハイウェイ」として提唱された。
九三年一月、アメリカのメーカー団体が「全国情報インフラの展望」と題する提言をおこなった。ここではじめて NII という言葉が用いられたのである。そして九三年十二月の記者会見において、ゴア副大統領は NII の理念および方向性を明らかにし、情報インフラ整備の立ち後れが経済の発展を阻害するとの認識を示した。
NII——情報スーパーハイウェイは、全国規模の五車線にもおよぶ巨大な「道路網」だ。各車線を列記すれば、双方向のテレビ網、全国規模の CATV 網、高品質な電話網、モービル・サービスを中心とした無線網、そして情報サービス網だ。
しかし、これだけでは日本の NTT が進める INS 計画と大差ない。
NII で注目すべきことは、ハードウェアとしてのインフラの姿ではない。九三年十二月のゴア演説で、注目すべき主張がある。
「それは個人の活動の道具として用いることができるのだ」
巨大な情報インフラを情報の受信手段としてではなく、個人の活動基盤として明確に位置づけたのである。この認識にこそ注目すべきだろう。
日本では、ネットワークにしてもマルチメディアにしても、「さまざまな情報を得られる」という受信者の視点だけで眺めがちだ。「誰が何をするのか?」という視点、つまり、ソフトウェアの問題が抜けているのだ。
ソフトウェアの重要性は認識されている、という反論はあるだろう。実際の企業行動としてあらわれた例もあるだろう。たしかにソニーはアメリカの映画メジャーを買収した。しかし、これはむしろソフトウェアの問題の難しさを如実に語っている。
もっとも重要なソフトウェア資産は、成果ではなくそれを生み出す創造的な人間だ。過去の膨大な資産は、たしかにこれからのビジネスで大きな武器となるだろう。しかし、より重要なのはこれからの創造ではないか。
おそらく、創造性においてアメリカ人も日本人も大差はないだろう。しかし、それを育てる土壌は大幅に異なる。日本が常にソフトウェアで遅れをとるのは、この点が問題であることは明らかだ。
巨大なビジネスは小さな取引から始まった。そして、あらゆる文化はマイナーなカウンター・カルチャーからはじまったはずだ。
肥大化したマスメディアは、すでにスモール・ビジネスやカウンター・カルチャーを担うことができない。NII の意義とは、まさしくこのような活動基盤となる点にあるのだ。
NII の先駆けとしてインターネットが急速に発展している。この巨大なネットワークでたくわえられ、そして流布されている情報は、現在のところ多くが「米国産」なのだ。
アメリカの研究者、ソフトウェア・ビジネス関係者は、このインターネットを活動の場として徹底的に利用している。NII のような政策的後押しが、それに拍車をかけている。NII 時代に向けて、さまざまな担い手が育っている。
日本では情報スーパーハイウェイやマルチメディアというと、あまりにも無邪気な市場予測にのみ注意が向かいがちだ。しかし、アメリカが NII 構想を一つの「必然」として議論する背景には、あたらしいビジネス、あたらしい文化の創出という目的がはっきりと描かれているからなのだ。
それを考慮にいれず、漠然と新市場を期待するだけの議論では、いつまでたっても「突然のブーム」が繰り返されるだけだろう。