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ネットワークの《物語》を読む(8)
「月刊ネットピア」(学習研究社/発行)1995年10月号掲載
江下雅之
前々回にも紹介した、ニフティサーブ・現代文化フォーラムで読むことのできた展開をお伝えしたい。ただし、内容的には《地球環境フォーラム》のものといっていいだろう。
現代文化フォーラムの生活文化閑談室で、捕鯨に関する話題が提出された。もともとはクジラ肉についての食習慣に関する話題に始まったもので、それが捕鯨の是非に展開したわけだ。
ぼくの年代(1959年生まれ)だと、まず間違いなく小学校の給食でクジラの肉を食べたことがあるだろう。けっしてめずしい食材ではなかった。個人的には、どうしても食べたいと思うような執着までは感じないが、捕鯨反対運動には割り切れないものを感じていた。クジラが増えているという科学的根拠があるのに、どうして反対が続くのか。南極の聖域化は、日本叩きの成果なのではないか。動物愛護精神というのも、結局は人間の自己欺瞞なのではないか。なぜ非科学的態度を取る団体に、政府は毅然たる態度を取らないのか等々。
おそらくこのような疑問は、平均的な日本人ならごく普通に抱いているものではないだろうか。
ぼくは捕鯨が禁止されたところで、好きなものが食べられるわけでもなければ、身内に失業者が出るわけでもない。しかし、反対側の論理が見えないことから、どうしても感情的な反応が出てしまう。
ところが、現代文化フォーラムでの議論を通じ、捕鯨反対運動に対する見方が変わってきた。いままで気づかなかったこと、そして報道では知りえなかったことが、一連のやりとり、とくに地球環境フォーラム・スタッフから提示されていたように思う。
むろん、そういった主張が事実に基づくものかどうか、ぼくは検証していない。しかし、説得力があったことは事実であり、捕鯨反対イコール日本叩きという単純な構図ではなさそうだ、と思うに十分なやりとりであったように思われる。同時に、肉食の是非についても、はじめて納得のいく説明を見たように思う。
地球環境フォーラムのスタッフにしてみれば、おそらく何度となく繰り返してきた論旨なのだろう。まず、「クジラ(正確にはミンククジラ)が増えている」と一般に流布されているデータには、じつは学術資料による裏付けがないのだそうだ。調査方法、集計方法に無理があり、国際捕鯨委員会科学委員会では集計結果を採用していないという。水産庁が発表した数字は、相当な幅のある統計値だという指摘がなされていた。
クジラが増えているという報道は、90年代にはいってから盛んになされた。それが日本では一種の常識としてとらえられているようにも思われる。「ミンククジラが76万頭」というデータが、ほぼ一人歩きするかたちで流布されたわけだ。ところが、最新の集計によれば、この数字は48万頭になる。本来なら捕鯨反対派はこれを「激減」と指摘することも可能であるが、データの信頼性に異議をとなえている立場から、この点にはふれていないのだという。
クジラ保護に関しては、ついつい動物愛護に基づいていると考えがちである。「可愛いのに」「知性があるのに」というわけだ。ここに、「捕鯨反対」反対派はダブルスタンダードを見出す。家畜を殺すのだって動物愛護に反するし、さらに突き詰めれば、動物はだめで植物はいいという発想も偽善的だ。
しかし、今回の議論で提示された反対根拠は、動物愛護ではなく生態系の保存というものだった。
オオカミのいなくなった森ではシカが激増し、結果として森が荒廃する——こういう例はしばしば耳にする。実際、増えすぎたカモシカは、農作物に多大な被害を及ぼしている。
クジラは巨大な哺乳動物であり、海の生態系のなかで、食物連鎖の頂点に位置する。そのクジラが減少すれば、森からオオカミがいなくなった状況とおなじになる。つまり、捕鯨反対はけっして動物愛護精神からではなく、海の生態系を維持するために不可欠なことなのだ。
肉食の問題については動物愛護ではなく、まず第一に「野性のものであるか、人工的に増やされたものであるか」が本質なのだという。そして第二に、食料生産全体から見た場合、穀物飼料に頼った畜産がけっして効率的でない、という問題がある。
たしかに百キロの牛肉を得るのに、穀物飼料が百キロですまされるわけではない。食糧危機を真剣に考えるのなら、人間が直接口にする食料を生産すべきだ——この主張はきわめて論理的といえるだろう。そして野生の動物(あるいは植物)を取るのなら、生態系での余剰に限定する必要がある。たしかにクジラ一頭捕獲すれば膨大な肉はえられるかもしれないが、そのクジラはそれまでにより以上の餌を取り、そしてまた自らの巨大な屍が海の生態系に戻っていく。短期的な食料源にはなっても、生態系が破壊されたのでは、安定した食料はえられない。そして現在の人口は、生態系の余剰ではまかないきれない。
以上は会議室の発言をまとめたものであるが、地球環境フォーラムにはより詳細な資料やデータが多数提供されている。日本ではどちらかといえば、捕鯨推進の立場からの情報が流布しがちだ。公平な立場から状況を眺めるためには、反対派の良質な資料に接する必要があるだろう。今回議論に参加したメンバーのなかには、途中から地球環境フォーラムに「留学」する人がいた。捕鯨問題に関心のある人は、ぜひ訪れてみてはどうだろう。