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ネットワークの《物語》を読む(18)
「月刊ネットピア」(学習研究社/発行)1995年9月号掲載
江下雅之
去る5月、マガジンハウスから月刊誌「pink」が創刊された。20代から30代前半までの女性を読者層に想定し、新しい生き方、気分のよい生活を、読者といっしょにさがそう、というねらいだ。
男にとって、女性誌はなかなか手にしにくい。コンビニエンス・ストアにいろいろ並んでいるのはわかるが、立ち読みするのもレジに持っていくのも、なんとなく恥ずかしく思ってしまう。話題には興味があるものの、中身を知る機会がなかなかない。
このpink誌、創刊に先立って NIFTY-Serve 本と雑誌リーダーズフォーラム内にメディアミックス会議室「【サテライト P!】『pink』リーダーズ談話室」が設置された。電子会議室なら、オトコでも気後れすることなく眺められる。そしてこの会議室では、雑誌で取り上げられた話題を肴に、さまざまな話題が展開している。
「女性も働いていれば自立なのか…」
創刊後のお祝いメッセージが一段落したあと、この問題提起をきっかけに、pink会議室がしばし盛り上がった。
男性が会社で働くことは「妻子を養うため」と認められるのに、女性の場合、たとえ戸籍の筆頭者で配偶者が失業者でも、会社は扶養家族手当を認めてくれない。一般事務職の役割は「銃後の守」であり、周囲に認められるためには、男の3倍は働かなければいけない。大半の女性がギブアップしても不思議はないではないか。職があるから自立しているなんて考えはおかしいのではないか……。
香港でOL歴のある女性から、さっそくコメントがついた。
物価が高い香港では、夫婦共稼ぎでないと生活が維持できない。フィリピン人女性がメイドとして多数出稼ぎに来ており、家事をいっさい受け持ってくれる。料理も掃除も「アマさん」(フィリピン人メイド)まかせ。お母さんは外で稼ぐという状況ができている、と。
ここから「仕事と家事」という論点が出てきた。
あるメンバーは、羽仁とも子の単行本に「家事を自分でやってこそ『自立』!」という主張があった、こういう考えが、女性にきわめてハードな状況が生じさせているのではないか、という補足意見を出していた。
『不思議の国ニッポン』(角川書店)の著者ポール・ボネ氏も、円高が急速に普及した当時、東南アジア女性をメイドさんとして日本で労働できるようにしたらどうだ、というような主張をしていた。日本人の家政婦さんを雇うと、おなじ日本人なので人件費が高くつく。その点東南アジア人なら、比較的低賃金でも喜んで仕事をしてくれるだろう。彼らにとっては高賃金なのだから。フランスでもポルトガル人やアラブ人がそういう職をになっていた、と。
仕事と家庭の両立に関する議論に平行して、「女の敵は女?」という話題も出た。日本では女性自身が自分には厳しくないのではないか。どうせ結婚したら退職するのだから、仕事なんて適当でいいではないか、と。
こうした発言を実際に会社で耳にした女性は、驚きつつも、問題なのは自分に甘い女性には甘く、自分に厳しい女性には厳しいという社会にも責任があるのではないか、と考えた。男性メンバーの一人は、自分に甘い女性が可愛く思われるのは、単に男の未熟のせいではないか、とも指摘する。このメンバーからは、女性がいかに厳しい状況におかれているかを示す本として、『英語できます』(松原ジュン子・著)、『彼女がニューヨークへ行った理由』(川恵美・著)、『女が職場を去る日』(沖藤典子・著)、『女が再婚するとき』(沖藤典子・著)などが紹介された。
「女性も働いていれば自立なのか…」という問題提起は、この後も出生率低下の責任、男の家事能力、戦前の中流家庭の主婦業など、いろいろなツリーに展開していった。
最後に、女性と仕事というおおもとの切り口に関し、ぼくが最も説得力を感じた意見をご紹介しよう。
曰く、「専業主婦志向」というのは、男の側の幻想であり、その幻想を鏡に映した女性の幻想でもある。が、この幻想あるいはイデオロギーは、稼ぎ手が一人でもなんとか食える状態があったからこそ成立した。その点で、終身雇用制を前提とした日本の大企業のサラリーマン家庭固有の問題なのではないか。
そもそも妻を家庭に閉じ込めるのは、男性にとっても経済的リスクがおおきい。一方で企業はリストラを進めざるをえず、お茶汲みやコピー取りのためだけに人を雇う余裕がなくなる。方向性としては、男だろうが女だろうが、仕事できる人はいい人、という時代になるのではないか。そして家事は分担するのではなく、極力しないという方向が見えてくるのではないか、と。
先に紹介した香港の事例は、明日のニッポンを写し出しているのかもしれない。そういう時代になれば、「むかしはセンギョウシュフという職業があった」と述懐するようになるかもしれない。
なお、この連載は今回をもってひと休みとさせていただきます。長らくのご愛読、どうもありがとうございました。