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業界無常識論[2]
「月刊パソコン倶楽部」(技術評論社/発行)1997年8月号掲載
江下雅之
パソコンを買うなら最新型を選ぶべし——メーカーの片棒をかつぐつもりはないが、こういうアドバイスを友人たちにしていた人は多いのではないか。ぼくも同様だった、二年前までは。
パソコンは最新型と一世代前の機種とで、性能の差が歴然としていた。マイクロプロセッサもインテル系は8086からPentiumへ、モトローラ系も68000から現在のPowerPCへと、はっきり「進化」といっていい世代交代が進んだ。
ところが、PentiumやPowerPCが登場してからは、それほど劇的な処理能力の向上は得られなくなったのではないか。もちろんPentiumやPowerPCも細かな世代交代は進めている。プロセッサベンチマークを実施すれば、初期のPentiumとPentium II、PowerPC 601/60MHzと同604e/225MHzとでは、かなり差が開いていることも事実だ。
しかし、パソコンの処理速度はマイクロプロセッサの性能だけでは決まらない。メモリ容量やバス速度という要素もある。さらにいえば、ハードウェアが高性能化しても、ソフトウェアが肥大化すれば恩恵が十分に得られない。
もちろんソフトウェアはいたずらに肥満化しているわけではない。いろいろな機能が増えてきたし、それによってさまざまな用途が開拓されてきた。Adobe Photoshop 3.0はSilicon Beach SuperPaint 1.0よりもかなり巨大なソフトだが、両者の機能差は歴然としているし、Photoshopが必要な人は多数いる。パソコンでなにかをするうえで、少なくとも二年前までは「最新型のハードを選び、最新バージョンのソフトを選ぶ」ことは、パソコン選びの基本中の基本といってもよかったのだ。
ところが、96年ぐらいの段階で、パソコンの用途開拓は一巡してしまったのではないか。こちらの視点から考えれば、PentiumやPowerPCのささやかな世代交代は、「なにがなんでも最新型じゃなきゃだめだ」と信じている一部の『先端』恐怖症の人を興奮させるだけのものなのではないか。
95年にWindows95が登場し、Office95のような完成度の高い実用アプリケーションが市場に投入された。オフィスでいちばん需要が多いソフトは、表計算、ワープロ、データベースである。そしてOfficeパッケージには、Excelをはじめこれらのジャンルの定番的なソフトが網羅されている。
むろん、パソコン市場はOfficeユーザに独占されているわけではない。DTPやデザイン、インターネットといった用途もある。しかし、DTPソフトのQuarkXPress 3.3、PageMaker 6.0、フォトレタッチの定番Photshop 3.0(最新版は4.0)、Netscape Navigator 3.0やInternet Explorer 3.0などのWWWブラウザもまた、実用上、一般消費者がとくべつ機能付属を感じないソフトといっていいのではないか。カルト的な利用者や職人的な使い方をする人は、まだまだ不満があるかもしれないが。となると、こうしたソフトウェア群が十分に使いこなせるハードウェア環境があれば、当面たいした不満は出てこないはずだ。
一般消費者向けの普及率は、ここ三年のブームのおかげで対人口比で8パーセントを突破したと推測できる。現在、売れ筋は本体の店頭価格が20万円台前半。実用ソフトとして、Office97をはじめ、すでにそうそうたるソフトウェアが店に並んでいる。
しかし、こうした環境による需要は、ほぼ一巡したのではないだろうか。いまなおパソコンを持っていない個人に普及していくには、あらたな普及条件が必要なのではないだろうか。その条件(の一つ)として、いたずらに最新スペックを追求することなく、とにかくいまのパソコンをばらまくことが重要だと主張したい。
利用者が増えると思わぬ用途が開拓され、それによってさらに利用する人が増える——こうした相乗効果は、いろいろな実例を見いだせる。家庭での電話やファクシミリの普及過程が典型だ。
通話サービスが始まった当初、電話は官庁や公共空間で個人の連絡用に使われたにすぎない。この段階で、わざわざ高い設備費や通話料を払ってまで、遠隔地の人と電話で雑談をしようとした人などはいなかっただろう。人口あたりの普及率が10パーセントを突破したあたりから、一般家庭への浸透がはじまる。いまや電話の用途は「雑談」がトップになっている。
ファックスも当初導入したのは、官庁、出版・印刷業など、文書の電送という需要がきわめて強いところだった。
ところで、10年ほどまえに「ホームファックス」という端末が大々的に宣伝されていたのをご存じだろうか。送れるのはA5版まで、メーカーは「地図や手紙を送れます」などと宣伝していた。しかし、たかが地図を送るために何万円も払う人はいない。そもそも送る相手がいなければ無意味だ。
実際に家庭でファクシミリが普及しはじめたのは、会社に浸透したあとに、ホームオフィス市場という名目で入り始めたのがきっかけだ。そして地図を送るためにファックスを買う人はいないが、たまたま家にあるファックスで地図を送る人はいくらでもいる。平行してファクシミリ端末が低価格化し、通販やラジオのリクエストなど、いろいろな用途も増えてきた。いまではホームオフィス以外にも使い道がある。
ある程度まで普及した段階から先は、別の普及シナリオに転換する。マーケティングの経験法則によれば、普及率が1パーセント、3パーセント、8パーセントといったところに転換点がある。これは犯罪心理学者の麦島文夫氏が1979年に発表した「パーセントの壁」に相当する普及の踊り場だが、普及状況によって世間の認識が変わることを意味している。パソコンでいえば普及率1パーセントは「別世界の人」が使う段階であり、ここで売れるには、マニア受けする内容、特殊な用途に耐える性能が必要だったはずだ。
もしもいま「パソコンが今後いっそう普及するための条件はなにか?」と聞かれたら、多くのパソコン利用者は「マルチメディア技術の開発」とか「より使いやすいインタフェースの実用化」と答えるのではないか。インターネットがもっと使いやすくなれば、とか、マルチメディアコンテンツが充実すればいい、と考える人も多いだろう。
しかし、ぼくは「10万円パソコン」の出現に期待したい。
電話は当初、有線ラジオ的な用途が本命と考えられていたが、開花せずに終わる。音質の問題、コンテンツ不足の問題が原因と考えられている。それに対し、「音質向上のための技術開発が重要」とか、「音楽ソフトを充実させないとだめ」と主張した人がいたかどうかはわからないが、市場は本命以外の用途で飛躍することがある、という実例と捉えていいだろう。
地道に実用ソフトを開拓し、それによって利用者を増やすという発想は、たしかに正論中の正論である。そして立ち上がり時期に市場を支えるのは、はっきりした目的を持った人たちの需要である。しかし、8パーセントという認知度の高い水準に達し、当面の用途が一巡したあとは、「周囲がみんなもっているから、自分も買ってみよう」という人の需要が重要なのではないか。社会学者の上野千鶴子氏はこうした欲求の構造に「人並み水準」という用語を使っている。人並み水準で需要に至るには、十分手の届く価格であることが必要だ。家庭にあるもろもろの装置価格から類推するに、パソコンの場合は一式10万円未満、というのが必須条件となるのではないか。
先進スペック満載のマルチメディアパソコンはマニア心をくすぐりはするだろうが、いま現在まだパソコンを買っていないような疑り深い潜在消費者に、虚飾に満ちた仕掛けが購入意欲をそそるだろうか。おりしもアメリカでは「サブ1000ドルマシン」が話題を呼んでいる。むろん、安ければ売れるという単純な話しではないが、パソコン市場の次なる飛躍をもたらすのは、パソコンが無節操にばらまかれた状況であり、その状況を生み出すのは、いまのところ「それなりの性能で思いきり安い」パソコンなのではないだろうか。