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業界無常識論[4]
「月刊パソコン倶楽部」(技術評論社/発行)1997年10月号掲載
江下雅之

敵の敵は「味方」かそれとも「大敵」か?

マイクロソフトのアップル出資劇

 97年8月6日、ボストンで開催されていたMacWorldにて発表されたマイクロソフト社とアップル社の提携劇は、業界を騒然とさせるニュース……というように報道されている。本稿が掲載されるころにも、さまざまな月刊誌でこの話題が分析されていることだろう。ここではコンピュータ市場の性格という文脈のなかから、この出来事について考えてみたい。
 MacWorldにて発表されたさまざまな内容は、「宿敵どうしが手を結んだ」といえなくはない。それなりに衝撃を受けた人もいるだろう。「ビル・ゲイツがアップルを経営すれば立ち直れる」などという冗談は、前々からいろいろなヒマ人が語っていた。しかし実際にマイクロソフトが出資するとなると、冗談を言っていた人も驚いただろう。しかし、これがコンピュータ業界である。
 今回の提携劇、少なくとも四つの視点から眺める必要がある。反トラスト法、WWWブラウザ、Java、そしてオラクル社の会長エリソンだ。

反トラスト法

 アメリカ合衆国の独禁政策は日本よりもはるかに厳しい。かつて日米通商摩擦の象徴でもあったスーパーコンピュータ市場では、実際に企業の分割といった事態まで発生したものだ。
 この市場のリーダー、Cray社は80年代を通じて事実上米国市場を独占していた。しかし、科学技術計算分野では先輩格のCDCが存在していた。実際、CDCの並列処理コンピュータETA10は発表当時おおいに話題になり、日本でも東工大が納入した。
 ところがスーパーコンピュータ市場そのものが、80年代後半以降、激変していく。日本メーカー(富士通、日立、NEC)の参入、Convex社やAlliant社などのミニスーパーコンピュータメーカーの台頭、超並列マシンの登場、ダウンサイジングの進展。これらの流れがスーパーコンピュータの需要構造を変え、流れに乗り切れなかったCDCが撤退する。これでCrayはひとりぼっちになった。
 余談ながら、超並列マシンの旗手nCUBE社はのちにオラクルに買収された。また、この分野でダウンサイジングを強力に進めたのが、Sun MicrosystemsとSilicon Graphicsの二社である。
 ひとりぼっちになったCrayは、Cray Researchという会社を分離させる。それほどまでに、反トラスト法は厳しい監視なのである。OS、アプリケーション、ネットワーク部門が一体となることで強さを発揮するマイクロソフトが、この法律に最大限の配慮をするのも当然なのである。アップルに倒産はおろか、事実上の傘下に入られていちばん困るのがマイクロソフト当人なのだ。

合従連衡離合分散

 これまでコンピュータ市場では、さまざまな「衝撃的な提携」そして「決裂」が繰り返されてきた。
 たとえばUNIXの世界。UNIXはもともとAT&Tベル研究所で開発されたものだが、実際にはバークレー版(BSD)とAT&T版(System V)の二つの流れがあり、両者はコマンド体系がかなり異なる。そしてUNIXワークステーション最大手であったSun Microsystemsは長らくBSD版を採用していながら、突然AT&Tと提携し、System Vに切り替えて現在に至っている。
 MPUのデ・ファクト標準となったIntelも、かつてはIBM傘下だった時期がある。8 bitパソコンが主流だったころ、MPUの主役はザイログ社のZ80だった。市場の中心が16 bitパソコンに向かう過程で、IBMはインテル社を系列下におさめ、そのインテルはIBM PCにMPUが採用されることで業績を伸ばす。ちなみにIBMは87年8月には、インテルの株をほぼ売却したとリリースしている。
 そしてマイクロソフトとIBM。IBM PCにPC-DOS(MS-DOS)が採用されたことで、マイクロソフトが飛躍するきっかけを得たことは、あまりにも有名なエピソードだ。IBMはその後PC ATの後継機として、「PS/2」という機種を発表した。MCA(Micro Channel Architecture)という先進のバス技術を採用し、OSにもあらたに「OS/2」を開発した。ここにもむろんマイクロソフトが関与しており、「MS OS/2」が発売された。
 そしてかつてインテルの親会社であったIBMは、そのインテルの宿敵モトローラと組み、アップルとともにPowerPCを開発した。このように、変化の激しいコンピュータ業界では、「昨日の敵は今日の友、そして明日はまた宿敵」という状況を繰り返してるのである。

JavaとNC

 話をもとに戻そう。すでに述べた反トラスト法の問題は、主要紙のほとんどが触れている。しかし、アップルが「事実上」マイクロソフトの傘下に入ったとする報道(たとえば97年8月8日付読売新聞)は、反トラスト法の指摘と矛盾する。傘下におさめるような既成事実が露見してしまったら、その時点で司法省の介入を招くわけだから。反トラスト法に言及するのであれば、マイクロソフトとしては、間違ってもアップルを傘下に入れるわけにはいかない事情ぐらいはわかりそうなものが。
 そして第二点、WWWブラウザの件も、ほとんどの新聞が報道している。マイクロソフトはNetscape Communications社と激烈な「ブラウザ戦争」を展開している。しかし、各国のパソコン市場でせいぜい10パーセントを占めるMacOS搭載機に標準バンドルされたところで、シェアそのものへの寄与はたいしたものではあるまい。
 第三点目のJavaの問題。これも主要紙のほとんどが報道している。JavaはもちろんSun Microsystemsが一種のオープン規格として提唱したものだ。ところが、最近のエレクトロニクス市場では、「規格提唱」による事前調整がうまくいったためしがない。じつは話は逆で、メーカー側に自信がないときは、えてしてどこも「規格統一」という方便の「保険」をかけようとする。市場性に本当に自信があれば、規格統一などという面倒な調整作業はおこなわない。
 ことJavaに関しては、その実力が認められるからこそ、いまになって主導権争いが発生したと考えるべきだろう。pure Javaに対するマイクロソフト版ともいえるJava。アップルと組めばたしかにパソコン市場を完全に牛耳れる。しかし、マイクロソフトはすでにほとんどの市場を制覇しているのだ。あえてアップルを引き込むメリットはいかほどのものだろう。
 そして最後のエリソン会長の件。エリソン氏はNCの提唱者であり、現在、マイクロソフトともっとも激しい闘いを展開している。NC対NetPCはいままさにグループ化の攻防を展開しているところであるから、今回の提携劇のポイントは、むしろこの点にあるのかもしれない。そのわりには、エリソン会長にスポットをあてた新聞報道が少なかったのは不思議である(日刊工業新聞、読売新聞は多少ふれていた)。

アップルとマイクロソフトの「友好関係」

 マイクロソフトの人気ソフト「MS Office」は、ヨーロッパ市場ではPowerMac 7000シリーズに限り標準バンドルされている。96年にこれが発表されたとき、「アップルはクラリスを切るのか?」という報道がフランスではなされた。
 87年にMac IIなどの新製品系列が発表されたとき、少なからぬオフィスユーザーは、「Microsoft Excelを使うため」にMacを会社に持ち込んだものだ。MS-DOSの世界でマイクロソフトはLotus 1-2-3の台頭を許した。機能面で1-2-3よりすぐれていたExcelがIBM互換機の世界にデビューしたのは、バージョン2.1になってからである。バージョン1.0はMacにのみ供給されていた。これはアップルがBASICの独占権をマイクロソフトに与えたかわりに、Excelバージョン1.0はMac専用に、という契約があったためといわれている。
 アップルとマイクロソフトのあいだでは、たとえばアップルのTrueTypeフォントやQuickTimeをライセンス供与している。MacOSとWindowsとはユーザー間でこそ宗教戦争まで発生しているが、実際のところ、アップルとマイクロソフトとは、ずっと以前から協調している部分が多かったのだ。
 WindowsがパソコンOS市場を事実上支配しているとはいえ、Javaだ、NCだと、いろいろなさざ波がおこっている。生き残るには、あちこちにとりあえず関与しておく必要があるだろう。敵の敵は味方かもしれないし、より強力な敵かもしれない。今回の提携劇、要するにマイクロソフトとアップルの両者が、お互いに保険をかけあっただけ、というのが真実なのではないか。


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