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連載コラム 多面鏡[1999年1月20日執筆]
「France News Digest」(France News Digest/発行)
江下雅之
混雑している電車で誰も老人に席を譲らなかったら、日本的発想からすれば、公衆道徳という視点から議論がおきそうである。また、深夜のマンションでピアノを弾く住民がいて、その音が外に漏れたとしても、同様の問題提起がなされるだろう。そこには個人の行為を社会常識に照らした上で非難する構図を読み取れる。もちろんこれは類型的な見方であるし、例外があることは否定しない。フランスでも同様の現象が発生することもあるだろう。しかし、席を譲る・譲らないといった問題、深夜のピアノ演奏が迷惑かどうかといった問題は、フランスでなら、まずは個人どうしの交渉に委ねられることが多いのではないか。
パリのメトロやバスのなかでは、席を譲ってほしいと要請する高齢者たちを見かけることがある。日本とフランスとを比べ、率先して席を譲る人の数はどちらが多いかは不明だが、譲ってほしいと主張する人の数はフランスの方が多いように思われる。ピアノの問題にしても、即座に演奏している人にクレームをつける人が多いだろう。こうした行動に見いだせる原理は、個人としての要求を当事者に直接ぶつけるという構造である。社会常識が持ち出されるとすれば、当事者間の交渉がもつれた時であろう。
老人に席を譲らない若者とて、疲労困憊しているのかもしれない。夜遅くにピアノを奏でる人にも、その日だけの特殊な事情があるやもしれない。交渉が先に来る構図では、各個人の意向や事情が尊重されやすい。しかしそれは同時に、自分がなにかを求めたいときは、いちいち主張しなくてはならない状況が生じることでもある。はじめに社会常識ありきという構図なら、相手がこちらの事情を斟酌してくれるだろう。斟酌しない人は、社会常識に欠ける者として非難される。似かよった価値観の持ち主どうしの社会では、こちらの構図の方が多くの人には気楽であろうが、支配的価値観からはずれた人は圧迫感を覚えるだろう。その点、はじめに交渉ありきの構図は、「異分子」には風通しのいい社会のはずである。