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連載コラム 多面鏡:1999年3月(3)[1999年3月31日執筆]
「France News Digest」(France News Digest/発行)
江下雅之

多様ゆえの紛争

 コソボへのNATO軍空爆にフランスも参加していることもあって、最近では抗議活動がフランスのあちこちでも見られる。コソボ問題に限らず、ボスミア、ルワンダ、北アイルランドなど、民族紛争は世界各地で発生している。フランス国内とて、イスラム系移民、コルシカ島住民、さらにはアルザス系住民などによる「民族」に関連した活動なり現象が頻繁に見られる。民族紛争とは、集団レベルでの価値観の衝突と言い換えてもいい。価値観は本来は個人に還元できる属性と考えてしまいがちだが、その個人そのものが、いわば集団の規範といったものを通じて形成されるものだ。集団にもアイデンティティがあり、それがしばしば衝突するのである。宗教は最も典型的な例だ。
 こうした紛争を前にして、「みんなが多様な価値観を認めるようになれば、紛争など起きないのに」という素朴な疑問を抱く人がいるかもしれない。いや、おそらくはそれが平均的日本人の発想だろう。しかし民族紛争とは、多様な価値観を認識しているからこそ発生することなのだ。イスラム系生徒がスカーフをして学校に行くのも彼らの価値観なら、それを否とする学校当局者の判断もまた、一つの価値観である。異質な価値を認めることは、苦痛を伴う。異質さが明瞭であるほど、それは自分たちのアイデンティティを揺るがすからだ。スカーフをしようがしまいが関係ない、という姿勢は、決して多様な価値観を認めることではない。「そんなものに価値はない」という姿勢に他ならない。多様な価値観を認めるとは、異質な世界に対峙することであり、それはしばしば争いという形を取る。
 人種のサラダ・ボールのパリでは、大規模なデモから酒場での口論に至るまで、様々な価値観の攻防が見て取れる。もとより紛争を礼賛するつもりは毛頭ないが、そもそも全体主義の社会なら、価値観の攻防など起きようがない。あるのは問答無用の排斥だけである。紛争とは、多様な価値観を認め合う上で、避けては通れない過程であることを認識すべきであろう。


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