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IT革命で高度化した電子傍受網は、空の上から我々を監視している
IT超大国アメリカの通信傍受網〈エシュロン〉
「別冊宝島REAL#008「IT」の死角」(宝島社/発行)2000年12月19日 pp.8-24掲載
江下雅之
IT革命の果実を最も貪欲に取り込もうとしているのは、個人でもベンチャー企業でもなく、じつは諜報機関なのかもしれない。IT化の進展は、情報の流れの面で国境をなくしているが、その結果、一国の電子傍受の対象をも全世界レベルに拡大している。個人がITの恩恵にあずかそうとすればするほど、個人のプライバシーは知らないところで丸裸にされている。数十年前だったらSFでしか語られていなかった恐怖の監視社会が、ITの驚異的な発展のために、いつのまにか現実の脅威となってしまったのだ。
日本赤軍最高幹部の重信房子が十一月八日に大阪で逮捕された。三十年ちかくにわたって国際手配されていた「大物」だけに、マスコミでも大いに注目されているものの、日本赤軍がハイジャックなどで世を騒がせたのは遠い昔のことで、いまや多くの人にとって、重信房子は過去の幻影のような存在だろう。そして十一月二十四日付の『週刊ポスト』(小学館)は、その幻影を捉えたのは、世界規模の通信傍受システムではないかと指摘した。
同誌に掲載された『「IT諜報機関」に追いつめられた「55歳・重信房子」の誤算』という記事は、軍事ジャーナリスト、神浦元彰氏のコメントという形で、アメリカとイギリスの諜報機関が管理する世界的規模の通信傍受システム「エシュロン(Echelon)」によって、重信容疑者が交信した電子メールが監視・追跡された可能性に言及している。おりしも十月に米軍のイージス鑑が中東でテロ爆破事件を受けて以来、アメリカ国防総省が中東関係のテロリスト情報の収集体制を最高レベルに強化していた、というのだ。
今回の逮捕劇では、目撃者からの通報から内偵が始まったというテレビ報道もあったが、この可能性はほとんどないないだろう。なにしろ重信容疑者は過去三年に八度も日本に出入りしていたのだから、手配写真を見慣れているはずの出入国審査官でさえも見逃していたくらいなのだ。国際指名手配の写真など日常的に見る機会などない一般市民にしてみたら、隣に住んでいても気づかないのが普通だろう。捜査当局すらも、まさか大阪にいるなどとは想像もできなかったというのだから、市井の人の目撃情報が捜査の契機になる可能性など、ほとんどゼロとみていい。
であるなら、なにがしかの諜報機関からの通報によって内偵が始まった、と考える方が、よほど現実的だ。もちろん、これは推測にすぎないし、週刊ポストの憶測を裏付ける「公式発表」は一切ない。しかし、そもそも当局がテロ容疑者の捜索方法を積極的に開示することはありえないだろう。逆に、ここ何年、世界規模での諜報活動もIT革命の波に乗り、強力な監視網を築きつつあることを裏付ける事実があきらかにされている。その代表が「重信房子を追いつめたIT諜報機関」(週刊ポストの見出し)のインフラとなっているエシュロンなのだ。
「政府はすでに四〇年代から通信産業界と癒着を続け、すでに汚染した。個人の銀行預金、コンピュータファイル、電子メール、電話機……あらゆる回線も電波も、最新のテクノロジーで監視できる」
これは、九八年に公開された映画『エネミー・オブ・アメリカ』(原題:ENEMY OF THE STATE)のなかで、
ジーン・ハックマン演ずる元諜報員がアメリカの国家安全保障局(NSA:National Security Agency)の通信傍受について語った部分だ(台詞はポニーキャニオン社発売の日本語吹替版より)。
エシュロンのような世界規模の監視ネットワークが、市民レベルにまで通信傍受の網を張りめぐらせている状況を、ジャーナリストの一部はジョージ・オーウェルの小説『1984』に登場する監視者「ビッグ・ブラザー」になぞらえる。しかし、携帯電話の傍受や監視カメラが個人のプライバシーを丸裸にする様子を映し出す『エネミー・オブ・アメリカ』は、より現実的なエシュロン像を描き出している。
「(NSAの)本部には地下に二千坪以上のコンピュータ・ルームがあって、電話で話しているときにもし、『爆弾』とか『大統領』とか『アラー』——キーワードのどれかを使えばコンピュータが自動認識して、危険人物として記録する……。ハッブル宇宙望遠鏡とおなじだ。百以上のスパイ衛星が空から監視している、極秘に。昔は電話に直接盗聴器を仕掛けたものだが、今では衛星に送られる電波を空中でキャッチできる」(同)
映画にはエシュロンという名称こそ出てこないものの、システムの機能やコンセプトは、この台詞で語られている内容そのものであることが、過去十年ほどのあいだに判明してきた。
もちろん『エネミー・オブ・アメリカ』は娯楽映画なので、架空の設定や現実をデフォルメした像がちりばめられているが、国家の諜報機関がハイテクを駆使すれば、いまやプライバシーはないも同然であること、国家が本気で個人を監視しようとしたら、一般市民にはなすすべもないことなどは、現実の脅威として認識しておくべきだろう。とりわけ物語で主人公を救いえたのは、盗聴や傍受に精通したかつての辣腕諜報員だけだったという展開は、諜報手段がIT化した現代社会に住む市民にとって、警告ともいえるだろう。
物語のなかでプライバシー規制法を成立させようとする議員は、通信傍受は市民生活を脅かす敵を見つけだすもの、市民の安全保障に不可欠な仕組みだと主張する。現実の通信傍受を支持する当局者もまた、おなじような主張を繰り返している。
市民生活を脅かす者を標的とするかぎり、傍受システムは「善良な市民」を守る道具だと言われれば、それ自体には反論しづらい。しかし問題は、誰が「善良な市民」とそうでない人とを区別するか、である。テロリストも変質者も、市民の日常生活空間のなかに潜んでいる。だからこそ、「善良な市民」を守る傍受システムは、必然的に「善良な市民」を標的にする矛盾を本質的に持つ。
実際に通信傍受に長年従事していたカナダの諜報機関CSEの元諜報員マイク・フロストは、アメリカCBS放送の人気番組『六十分』のなかで、エシュロンの実際の運営について、次のように語った。
「ある少年が学校で泥ん子遊びをしたとしよう。そして翌朝、彼の母親が友人に電話で『あの子ったら、本当に爆発しちゃったのよ』と何気なく喋ったとしよう。コンピュータが会話を吐き出し、それを目にした分析の専門家は、会話の内容が具体的に何を指しているかが判明しないので、母親とその電話番号を、潜在的テロ容疑者としてデータベースに登録してしまうのだ」(二〇〇〇年二月二十七日放送)
『エネミー・オブ・アメリカ』が突きつける最も恐ろしい現実の危機は、ハイテク機器の驚異的な追跡能力ではなく、どの市民もが、潜在的標的になっている点につきるのだ。
エシュロンの詳しい成り立ちや仕組みは後述するが、着想は一九四〇年代にまで遡及できる。アメリカの同盟国である日本も傍受の標的となっているが、話はさらにややこしく、日米間の秘密協定によって、日本の治安当局もエシュロンの受益者であるという指摘がある。先に成立した通信傍受法など、エシュロンの秘密協定に参画する方便だとの意見もある。
エシュロンが日本のマスコミで話題になったのは今年の三月ごろのことだ。七月にはNGOのJCA−NETがエシュロンに関する問題提起を行い、国会議員との勉強会や国際シンポジウム、セミナーなどを開催するといった動きはあるが、世間的な関心は、欧州に比べるといまひとつの感がある。
欧州では、大陸諸国の政府やマスコミが「英米枢軸」を激しく非難している。EUの一員であるイギリスがエシュロンの管理者であるばかりか、この傍受システムがフランスやドイツの企業が参加した国際入札で暗躍しているらしい、という疑惑が提起されたからだ。それまでにも米欧間の産業スパイ摩擦はたびたび発生していたが、九八年に欧州議会に提出された報告書は、かつてない波紋を広げたのだった。
欧州議会は九七年、収監や尋問、諜報活動に関する技術革新の現状分析を、イギリスの人権擁護団体のオメガ財団に依頼した。九七年十二月二十七日には、『政治的管理技術の評価』と題する中間報告書が議会のSTOA(科学技術選択評価:Scientific and Technological Options Assessment)委員会で発表され、九八年八月には本報告書が議会に提出された。このレポートの第七章は監視技術について記述されているが、ここには米国のNSAによるEU内の電気通信傍受活動が独立した節を立ててとりあげられている。
「欧州内ではすべての電子メール、電話、ファックスがアメリカ合衆国国家安全局によって日常的に傍受され、標的となった情報は、ロンドンの戦略拠点や英国ノースヨークムアのメンウィズヒルの基地を経て、欧州全域から米国メリーランド州のフォートミード(※ここにNSAの本部が置かれている)に転送される」(同報告書より)
こうした世界規模の傍受体制を築いた計画が、「エシュロン」というコード名で呼ばれていたのだ。
じつは報告書の内容自体は、それまでに刊行された著作やマスコミ報道などの引用が中心で、あらたな事実を暴露したわけではない。しかし、欧州議会がエシュロンという具体名まであげて問題を取り扱ったことで、エシュロンおよび米国の諜報活動が欧州内の世論を大いに喚起したことは間違いない。
報告書が議会に提出された当時、日本では毎日新聞が九八年九月十九日付の朝刊で「米盗聴…以前から、うわさ——NSAやCIA、冷戦後の新たな役割」と題する記事を載せ、欧州議会が「(米国の情報機関が)冷戦終結後の世界で同盟国相手の産業スパイという新たな役割を演じている」ことを明らかにした、と報じたが、この記事では、エシュロンという名称には言及されていない。欧州内では雑誌や新聞、テレビ局が続々と報道を続けたのに比べると、日本でのマスコミの注目度はそれほど大きくはなかったのだ。
もちろん、米国の諜報機関による産業スパイ活動に対し、マスコミがいつも無関心だったわけではない。たとえば一九九五年六月に橋本通産大臣とカンター米通商代表(いずれも当時)のあいだでおこなわれた日米自動車交渉の際に、米国中央情報局(CIA)とNSAが日本側代表団の内部会話を盗聴し、カンター代表に毎朝報告していた、という「疑惑」が、交渉終了から数カ月後に持ち上がった。これは同年十月十五日付のニューヨーク・タイムズが一面でスクープした報道によるものだが、日本のマスコミもすぐに反応し、十月十八日付の読売新聞は「日米の信頼損なう盗聴疑惑」と題する社説まで掲載した。
それに比べ、九八年時点でエシュロンが日本であまり注目されなかったのは、傍受対象が世界全域であるとはいわれても、どちらかといえば当事者意識は薄く、欧州とアメリカとの「諜報」摩擦という認識が強かったからかもしれない。しかし、エシュロンの輪郭がはっきりするにつれ、米軍三沢基地に戦略拠点が置かれていること、さらには日本も傍受活動に関与しているらしいことが露顕してきたのだ。
巨大な傍受網エシュロンの全体像と成り立ちについては、九九年四月に欧州議会STOA委員会に提出された『傍受能力二〇〇〇(Interception Capabilities 2000)』報告に詳述されている。九八年八月の報告書と同様、これも従来の報道や調査を整理したものだが、エシュロンや電子傍受の全貌を知るには、最も手ごろな資料といっていい。
ごくごく手短に言えば、エシュロンとは、世界中に置かれた通信傍受基地で捕捉された情報を自動的に解析センターに転送し、やはりそこで自動的にデータベース化するネットワーク・システムである。電子メールやファックス、テレックスなどの信号は通信網上で捕捉され、電話のアナログ音声は自動音声認識技術でスキャンされる。傍受可能な通話は、一時間あたり二百万だが、そのレベルが技術革新によって高まりつつあることは間違いない。
報告書によれば、そもそもの始まりは第二次大戦後まもない一九四七年にアメリカとイギリスが交わした秘密協定UKUSAだ(UKはUnited Kingdom、英国のこと)。これは英米二カ国が協力して世界レベルでの通信諜報(COMINT:Communication Intelligence)にあたることを決めた。後にカナダ、オーストラリア、ニュージーランドの英語圏三カ国が「第二パーティ」としてUKUSA協定に参加した。
エシュロンと呼ばれるシステムは、一九七五年から九五年にかけて構築された。それに先立つ六〇年代末に、米国のNSAとイギリス側のパートナー、英国通信本部(GCHQ:Government Communications Headquarters)とは、衛星間の信号諜報(SIGINT:Signal Intelligence)のための基地を設置したが、今後あらたに打ち上げられる衛星間の交信量が急増すると、各基地での個別の傍受作業には物理的な限界がくると予想した。そこで、世界的な規模で網羅的かつ自動的に通信を傍受するために、エシュロンというシステムを構築することになったのだ。
衛星通信に対する傍受活動は、もともと冷戦下での軍事的行動の徴候や外交上の機密を探る目的が主であった。しかし、八〇年代半ばになると、傍受の対象を拡大するべく、NSAは「P415計画」を実施した。今日エシュロンと呼ばれるシステムは、P415計画に沿った姿のものである。
現在のエシュロンは、インターネットにも似た巨大な通信ネットワークとなっており、傍受基地で集められた情報は、自動的にセンターへと送信される。そしてこのデータは、エシュロンの中核である「辞書」コンピュータで分析される。映画『エネミー・オブ・アメリカ』で描かれていたように、チェックの対象となるキーワードを入れると、対応した情報が引き出され、その発信源を突き止めることができるのだ。もしも重信房子が本当にエシュロンで追跡されたのだとしたら、おそらくはNSAが「日本赤軍」「重信」といったキーワードを監視リストに入れたためだろう。もとよりこれを確認するすべはないが。
エシュロンの情報収集拠点は空・海軍の基地に置かれ、軍関係者が運営に協力している。バージニア州のシュガーグローブにはエシュロンの基地があり、いくつものパラボラ・アンテナを立て、欧州および大西洋上の通信衛星を傍受している。ニュージーランドではGCSB(Government Communicaiton Security Bureau)が二カ所の衛星通信傍受基地を運営し、インテルサット(国際電気通信衛星機構)の通信を標的にしている。
日本の米軍三沢基地にもエシュロンの拠点が置かれているということが、米国の情報公開法にもとづいて公開された米軍機密文書に記されていた。もともと三沢の傍受施設は、冷戦時代にソ連、中国、北朝鮮の空軍を対象にしたものだった。「LADYLOVE」というコード名を持つ計画のもと、七八年に傍受施設が建設され、以来、東アジア地区の信号諜報では中核的な役割を果たしてきた。そして三沢基地は、日本の安全保障の要であるだけでなく、日本に対する「聞き耳」にもなっている。
これまでにあきらかになったNSAの任務のひとつは、通信傍受のための要素技術や傍受装置の開発である。もちろんそのような「矛」だけでなく、暗号技術のような「盾」の開発もNSAの重要な役割だ。こうした活動には、軍の諜報部門も協力している。
エシュロンは衛星通信の傍受が中心だが、近年、傍受が困難な光ファイバーを介する通信についても、傍受体制が進められているという。また、コンピュータから漏洩する電磁波を傍受し、モニターに表示される画面をかすめ取る「テンペスト」技術についても、NSAはかなり以前から実用化していた。
九九年十一月、NSAが新しい電話盗聴技術に関して特許を取得したことが判明した。その内容は、音声信号を自動的にテキストへと変換する技術に関するものだ。もちろん、似たような技術はとっくに商品化されているので、NSAが取得した特許には、より高度な傍受を実現する内容が含まれていると推測される。
欧州議会報告書によれば、現在、世界では毎年百五十億から二百億ユーロ(約一兆四千億から一兆九千億円)もの予算が傍受活動に費やされているという。そのなかで最も大きな割合を占めるのが、エシュロン関係の費用だと見られている。
エシュロン研究の第一人者、ダンカン・キャンベルの調査によれば、エシュロンによる傍受活動によって、過去十年に日本企業は九件の国際入札で米系企業に破れたという。その一つ、一九九四年にAT&T社が落札したサウジアラビアの電話通信網整備事業は、三十九億ドルに上る史上最大規模のものだった。この時期、AT&Tやモトローラなどの米大手電気通信会社が大規模電話網工事を相次いで落札していた。時事通信社の報道によれば、サウジアラビアの国際入札では、フランスのアルカテル社、日本のNEC、ドイツのシーメンス社などがAT&Tよりも低い応札額を出していたにもかかわらず、サウジアラビア国王に対するクリントン政権の働きかけが、土壇場の逆転劇につながった可能性があるという。
東西冷戦の終結後、諜報機関の活動領域は安全保障から経済へと軸足を移したといわれる。実際にアメリカでは、クリントン大統領がCIAに通商上の競争相手への経済スパイを最大の任務とせよと命じた(九五年十月二十一日付ロサンゼルス・タイムズ紙)。NBCニュースが二〇〇〇年五月七日に伝えたところによれば、CIAから議会に提出された文書のなかに、アメリカ企業が国際取引で勝利するべく、諜報機関が支援活動を行っていることを証明する内容が記されていた。諜報の目的は、賄賂によって商談が不利に進むことを阻止することであったという。
二〇〇〇年三月七日、CIA元長官のジェイムズ・ウールジーはワシントンの外国人プレスセンターで記者会見をおこない、経済分野での諜報活動の意義や目的について語った。それによると、経済分野で収集している情報の九五パーセントは公開情報であり、残る五パーセントが諜報活動や傍受を通じて得たものだが、アメリカの大企業は他国の技術情報には関心がない、と断言している。CIAが外国企業や政府関係者を諜報活動の対象にしているのは主として三つのケースであり、第一に、経済制裁を課している国の経済活動を把握すること、第二に、化学物質やハイテク機器などが本来の民生用目的からはずれて軍事利用されていないかを監視すること、そして第三に、商談で贈収賄が介在しているかを察知することだ。
欧州議会に提出された『傍受能力二〇〇〇』には、ダンカン・キャンベルが指摘してきた二つの事例をアメリカ当局の典型的な産業諜報活動の「成果」としてあげている。
まずは九四年、ブラジル政府のSIVAMと呼ばれるアマゾン川流域環境監視システム事業を、当初はフランスのトムソン−CSF社が有利に商談を進めていた。しかし、NSAのシュガーグローブ基地がトムソンとブラジル間の電話を傍受し、その報告を受けたクリントン大統領はブラジル政府に対し、フランス企業が賄賂を贈って受注しようとしていると警告した。総額十三億ドルにも及ぶこの商談は、結局アメリカのレイセオン社が落札した。
おなじ年、サウジアラビアでの航空商戦でも、NSAは欧州のエアバス社とサウジ国営航空、サウジ政府との間のファックスや電話を傍受し、エアバス社側の贈収賄行為を察知した。このときもクリントン大統領がサウジ国王に親書を送って警告し、数十億ドル規模の航空商戦はアメリカのボーイング社とマクダネル・ダグラス社が受注することになった。
欧州議会報告書で具体的に指摘されたこれら二例は、たしかに贈収賄が関与している。
NSAはエシュロンの存在を、公式には否定も肯定もしていない。エシュロンの姿をあぶり出していったのは、欧州議会でもなければ、アメリカに敵対する国の諜報機関でもない。電子スパイに関して、七〇年代から地道に追いかけてきたイギリス人ジャーナリストをはじめとする民間人なのだ。
その筆頭がテレビ・プロデューサでもあるダンカン・キャンベルで、一九七六年以降、電子スパイの実態と脅威について複数の雑誌で発表してきた。一九八八年八月十二日発行のイギリスの雑誌『NEW STATESMAN』に掲載された「Somebody's Listening(誰かが聴いている)」という記事では、一般の刊行物で初めてエシュロンの名称をあげ、米英の通信傍受活動を詳細に記述した。これがいわば「エシュロン疑惑」の出発点といえるレポートだ。
そしてニュージーランドのジャーナリストにして平和活動家のミッキー・ヘイガーは、独自の調査を元に、『シークレット・パワー』という著書を一九九六年に刊行した。これによって、エシュロンが電子メールをも対象に含む世界的な規模の通信傍受システムであることがほぼ判明したのである。
じつは九九年五月二十三日に、オーストラリアのテレビ番組チャンネル9のなかで、同国防衛信号局(DSD:Defense Signals Directorate)のブラディ局長がUKUSAにもとづく国際的信号諜報組織と関係があることを認める書簡が公表された。エシュロンという言葉は使わなかったが、システム構成に関してヘイガーが記述した内容は正しいとも認めたという。
九九年十月、エシュロンに対する「市民革命」が勃発した。エシュロンが「革命」「NSA」「テロリズム」などのキーワードを含む電子メールを捕捉することに注目したハッカーグループが、十月二十一日に送信する電子メールにキーワード(となりそうな単語)を最低五十は添付するよう呼びかけたのだ。彼らは決起の日を「エシュロンを妨害する日(JAM Echelon Day)」と命名した。活動を組織したサイト管理者の一人、グラント・ベイレイは、こうした活動がエシュロンに打撃を与えたかどうかは不明だが、ある程度の注目は集められたと評価した。もっとも、「JAM Echelon Day」の呼びかけはクラッカーたちも刺激し、その日は膨大なスパムメールが飛び交うといった副作用ももたらしたという報道もある。
アメリカのNGO、アメリカ市民的自由連盟(ACLU:American Civil Liberty Union)は九九年十一月、インターネットで「エシュロン・ウォッチ」サイトを立ち上げ、エシュロンに関する文書を収集し公開する行動を始めた。
エシュロンをめぐる言動は、二〇〇〇年になってから、一層激しくなった。
一月十三日、国家安全保障資料室のジェフリー・リチェルソン博士は、情報公開法にもとづいて入手した米国海軍・空軍の公式文書を編集し、米国の通信傍受活動の歴史的経緯に関し、詳細なレポートを取りまとめた。これによって、傍受システムの運用体制、規模、基地の場所などがかなり解明された。公開された機密文書の多くは所々が黒く塗りつぶされているが、そうした文書の中に、エシュロンの名が出ている箇所もあれば、三沢基地の傍受施設に関する記述もある。
二〇〇〇年二月二十七日、アメリカCBS放送の番組「六十分」のなかで、カナダの通信安全保障局CSEの元諜報員マイク・フロストは、エシュロンが世界中の電波を傍受できると語った。番組のなかでフロストは、自分が傍受活動に従事していた当時、イギリスのサッチャー首相から意見の対立する二名の閣僚の電話を傍受するよう、依頼を受けたと語った。
アメリカの人権擁護団体、電子プライバシー情報センター(EPIC:Electronics Privacy Information Center)は九九年十二月二日、NSAに対して米国市民への傍受活動の法的正当性を示す文書を提示するよう、連邦裁判所に提訴した。それを受けた形かどうかは不明だが、二〇〇〇年二月、NSAは「電子調査活動を行う際の諜報機関における法的基準」と題するレポートを議会に提出した。そこでは、米国市民の権利は一九七八年に制定された対外諜報活動法(FISA:Foreign Intelligence Surveillance Act)と特別指令一二三三三によって保護されていること、さらに、FISAでは裁判所の許可が必要な電子諜報を四類型して定めていることなどを提示した。しかし、ニクソン政権時代に制定されたこの法律は、インターネットや携帯電話などが普及した現代には即さない、という批判が人権擁護団体や議会スタッフから上がっている。
かつて電気通信事業は、国家の厳格な統制下のもとで進められ、外資系企業が通信インフラに関与する事態はありえなかった。ところが一九八〇年になって、米国で革命的な自由化が始まり、その数年後、イギリスと日本が追随した。フランスやドイツなどのEU諸国でも通信事業が自由化され、サービスの内容や価格が競われるようになった。
通信サービスのなかでも、劇的に様変わりした分野の一つが国際通信である。いくらグローバル化が進んだとはいっても、日本人には国際通話はいまだになじみの薄い分野かもしれないが、小さな国が接しあう欧州内や、ビジネス上の交流が活発な欧米間では、国際電話は市外通話の一種とさえいえる。そして通信の自由化が進展してからというもの、自由化で先行したアメリカやイギリスには、いわゆるコールバックの事業者が多数登場した。
私もパリに住んでいたころは、国際電話はもっぱらコールバックを利用していた。このサービスの内容は、ごく簡単にいえば、第三国を経由して国際通話をおこなうことだ。国際通話料金は通常、発信した国のキャリアに料金を支払うのだが、料金水準は国によって大きな違いがある。そのために、たとえばパリから東京に電話するのでも、イギリスを経由させた方が安いという事態になるのだ。
もちろん、通常の通話サービスを使うかぎり、第三国経由の通話などできないが、通信自由化以降は、専用線を用いた付加価値通信サービスが多数出現し、中継を引き受ける業者が登場したのだ。そしてこのサービスの分野では、米国とイギリスの業者が圧倒的に強い。もちろん理由は、通信自由化で先行したこの二国は、国際間の専用線が安いからだ。別に見方をするなら、いまや多くの国際通話が米国やイギリスを経由する状況ができあがっているのである。
インターネットでは「アメリカ経由」の流れが一層顕著だ。「ドット・コム」バブルが示すように、日本在住の個人や企業であっても、米国にサーバーを持つ例が多い。米国系プロバイダは世界中にアクセス・ポイントを拡大し、欧州系プロバイダでも、イギリスを中継拠点にしている大手事業者もある。ここでも「すべての道は英米に通ず」となりつつある。通信自由化に勝ち抜くことは、巨大な渦の核になることなのだ。
ちなみにイギリスでは、諜報機関MI5(かの007が属していたのは、海外諜報を担当するMI6)は二千五百万ポンド(約四十億円)の予算を投じ、イギリスを流通するすべての電子メールを傍受できる新センターを建設中だ(二〇〇〇年四月三十日付のサンデータイムズ紙の報道より)。
ことITの領域に関するかぎり、主要なコンポーネントからソフトウェア、サービスに至るまで、米国が圧倒的に強い立場にいることがわかる。その多くは厳しい競争にさらされた民間企業の努力の結果だが、なかには通信やデータベース産業のように、国際戦略の一環として米国政府が積極的に主導した分野もある。いまや大半のIT利用者は、かつてない水準で米国依存度を高め、首根っこをアメリカにおさえられいる状況なのだ。とりわけIT諜報活動が露顕した現在、誰もが最も必要とする暗号技術もまた、根本的な部分は米国が確保しているのだ。
なにもかもが米国の一人勝ちという状況を目の当たりにすると、じつは米国は官民が結託してエシュロンのような傍受システムを支えているのではないか、という疑惑が浮かんでくるものだ。実際、欧州議会の報告書『傍受能力二〇〇〇』には、ロータス社のロータス・ノーツ、マイクロソフト社やネットスケープ・コミュニケーションズ社のウェブブラウザなどには「裏口」があり、NSAだけがそこから個人情報に侵入するキーを持っている、という指摘がある。これは九七年のスウェーデンでの新聞報道を引用したものだが、九九年九月には、アメリカのセキュリティ・ソフトウェア企業に勤める科学者が、マイクロソフト社のウィンドウズにもNSAがアクセス可能な「裏口」があり、その鍵の名前が「_NSAKEY」であると主張した。こうした疑惑に対し、マイクロソフト社はナンセンスと否定した。
はっきりしない事態に対し、疑心暗鬼を募らせてもロクなことはないものだが、IT社会の進展は、考えれば考えるほど、「支配する立場」の監視能力を強化しうることは忘れるべきではないだろう。たとえば日本では、高速道路や主要幹線道に警察庁のNシステムというナンバープレート監視カメラが置かれている。これはオウム事件捜査で威力を発揮したことが知られているが、別の見方をするなら、車の移動は警察の監視下に常時置かれているということだ。
クレジットカードやデビットカードの利用機会が増えれば増えるほど、消費の記録が消費者の知らないところで貯えられてしまう。誰もが携帯電話を使うようになれば、個人の居場所がネットワーク側に常時捕捉されることになる。国民総背番号制を国家による国民監視の強化と批判する人は多いが、そうした議論など無関係に、IT化の進展という過程のなかで、個人を監視できる仕組みが出来てしまっているのだ。
NSAの傍受活動ばかりが注目されがちだが、どの国であれ、おおやけにはできない情報収集活動をおこなっていることは間違いない。英語圏五カ国の通信傍受網に最も神経をとがらせているのはフランスだが、そのフランスも、じつは自前の傍受システムを持っており、「Frenchelon」というあだ名まで付いている。
フランスの週刊誌『ル・ポワン(Le Point)』九八年六月六日号に、ジャン・ギスネル記者の「諜報:フランス人もまた同盟国を傍受している」と題する特集記事が掲載された。記事によれば、フランスの治安当局DGSEは、国内の都市に衛星通信の傍受施設を設置しているほか、ニューカレドニアなど、海外領土にも傍受基地を置いている。フランス政府が南太平洋の植民地経営に執心している理由の一つは、世界規模の傍受体制を維持したいからだ。アメリカの諜報機関がそこまでやるなら、当然、ほかの国の諜報機関も負けてはいられない、というわけだ。
傍受システムの関係者の言葉を借りれば、「この体制がいつまで続くか、正確な可能性はわからない。アメリカに望むのは無意味だろう。これは秘密の戦争ゲームだ。向こうがやればこっちもやるし、やるからにはおなじ精度を目指す。相手の尻尾をつかめば、こっちの尻尾もつかまれるもの。向こうの出方にいちいち驚いても仕方ない」のだ(前述ル・ポワン誌記事より)。
通称「フレンシュロン」の傍受能力は、エシュロンとは比較にならない水準だという。エシュロンに対するフランス当局の非難は、技術的遅れに対するあせりが本音だと見ていいだろう。そのあたりの状況は、核開発で米英に遅れたフランスが、最後まで自前の核実験に固執したときに通じるものがありそうだ。
日本とて、諜報活動の「加害者」である点で例外であるはずがない。たとえば九七年二月十五日付の産経新聞の報道によれば、九七年二月にアメリカ人ジャーナリストのジョン・ファイアルカが著した『他の方法での戦争・米国での経済スパイ活動』(ノートン社刊)のなかで、日米貿易交渉にたずさわった米国商務省高官二名が著者からのインタビューに対し、「米側の協議のための会話は少なくとも過去十五年にわたり、日本政府側により盗聴されてきたと確信している」と語った。九五年十月にニューヨーク・タイムズが日米自動車交渉で米側が盗聴をおこなったと報道したとき、日本政府筋が(これが事実だとすれば)外交問題になりうる、と懸念を示したことも、同書はジェスチャーにすぎないと切り捨てている。
外交官や外国人ジャーナリスト、企業駐在員は、治安当局からは常に「潜在的スパイ」と見なされるものだ。私がパリに在住中、滞在ビザの関係で記者登録をおこなったのだが、登録窓口や記者証の発給元は外務省外国人プレス事務所なのに、交付の許諾は内務省の管轄なのだ。ここは対諜報活動の胴元でもある。
政治的には同盟関係にあっても、国と国との利害関係は複雑に絡み合っており、経済活動がグローバル化したといわれる現在でも、それに変わりはない。むしろ、企業が国境を越えて活動することが当たり前になったことで、利害関係はいっそう複雑になっているのだ。それが諜報活動にも反映され、同盟国間での報復合戦のような事態をももたらしている。
先に示したル・ポワン誌が複数の情報源から知りえたところによると、フランスのDGSEはドイツの諜報機関BNDと極秘協定を交わし、傍受体制の整備にドイツ人も参加しているという。一方に英語圏の傍受網あらば、非英語圏が結束する。まさに「敵の敵は味方」だ。もっとも、独仏とイギリスとはおなじEUの中軸国であり、「敵」は同時に「味方」でもあるのだから、諜報戦争は複雑だ。IT革命の背後で進行する国際情勢の錯綜を、ITを基本政策に掲げる日本の政治家は、どこまで把握しているのだろうか。
監視カメラ社会 —もうプライバシーは存在しない— |
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江下雅之/著 講談社+α新書 2004年2月、882円 2004年上期に16件の書評が掲載されるなど、多方面で注目されています。 |