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書評『9.11以後の監視』(D.ライアン著、明石書店/刊、2004年)
東京新聞・中日新聞2004年11月14日掲載
江下雅之
監視社会は米国の同時多発テロ(9.11)後に突如として出現したわけではない。監視社会化は長期的な文脈のなかで進行してきたのであり、9.11は転換点にすぎないのだ。重要なことは、電子的・自動的な監視テクノロジーの普及により、あらたな監視の形態が浸透しつつあり、テロへの恐怖がその浸透に加担している、という視点を持つことである。——デイヴィッド・ライアンの近著『9.11以後の監視』に貫かれている問題意識を要約すれば、このようになろう。
監視に関するライアンの研究でとりわけ注目すべきことは、監視の必然性を社会的文脈からえぐりだし、さらに、一般市民や消費者など、監視される対象が監視に加担するプロセスを詳細に分析している点であろう。監視を権力者による抑圧という視点だけで捉えるのはナンセンスであり、その認識にとどまるかぎり、九・一一が転換した監視社会の本質は見えてこない。
本書は専門の研究者を対象とした理論書ではなく、一般市民が「監視」の転換を考える上で把握しておくべき視点を突きつけた内容となっている。問題提起に重点が置かれ、監視への対抗策が具体的に提言されているわけではないので、「ではどうすればいいのか?」という読後感を抱くかもしれない。しかし、監視という現象が突発的なものではないからこそ、明確な対策は提示不能なのだ。現実に監視社会で暮らす我らがなすべきことは、監視の現在形を正確に把握することであろう。
本書でライアンは「疑いの文化」「監視のアッサンブラージュ」などのキーワードで監視の現況を描いている。その結果顕在化しつつあるのが、「社会的仕分け」によるあらたな差別構造だ。監視という言葉からは、個人のプライバシー侵害という問題を我々は想起してしまいがちだ。しかし、社会的差別という次元で監視を考えねばならない点を、ライアンは本書で警告しているのである。
(おわり)