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書評『ドキュメンタリーは嘘をつく』(森達也/著、草思社/刊、2005年)
共闘通信社配信記事(神戸新聞、静岡新聞、京都新聞、信濃毎日新聞等に掲載)
2005年5月1日掲載
江下雅之

 ドキュメンタリー映像作家である著者の主張は明快である。ドキュメンタリーは対象と作者との関係性を描くものであり、作品は被写体への加害性を常に持ち合わせており、こうした性格に対し作者は自覚的であらねばならなず、それゆえにドキュメンタリーづくりは自分本位で悪辣な稼業である。こうした事柄が繰り返し述べられている。タイトルに「嘘をつく」とあるが、ドキュメンタリーの虚構性を論証するのでもなければ、「やらせ」批判でもない。本書のテーマはあくまでも作家性である。著者は自著『A』からの引用により、「ドキュメンタリーの仕事は、客観的な真実を事象から切り取ることではなく、主観的な真実を事象から抽出することだ」と述べる。ドキュメンタリーとフィクションとは、作者が対峙する世界を作者が自覚的に再構築するという点で本質的に同一のものなのだ。
 著者は報道とドキュメンタリーとを区別している。情報の提示である報道は中立を標榜しうるのに対し、情感の喚起を本質とするドキュメンタリーは作者のエゴが徹底されることで作品が成立する。しかし、報道における中立という立場といえども、対象との関係性の一つであることに違いはない。結局、メッセージの意図を送り手が自覚的に「煩悶」すべきである点において、報道する者もドキュメンタリー作家もおなじ業を背負っているのだ。
 作家性に関する本書の簡明な主張に対し、矜持の高い覚悟の表明と評価する人もいれば、露悪的な開き直りと非難する人も出てこよう。もとより受け手側も解釈という実践を通して作品世界を再構築するのであり、作家とおなじく自己本位で悪辣な存在である。受け手側と報道やドキュメンタリーとの関係性の違いによって、提起される問題は異なってくるだろう。
 関係性によって多様な論点が喚起されることこそ、本書が森達也というドキュメンタリー作家のセルフ・ドキュメンタリー作品として成立していることを示しているのではないか。 (おわり)


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