2017年度:問題分析ゼミ[3]

2017年度の問題分析ゼミ第3回の議事録です。

日時:2017年4月25日(火)15:20〜20:50
場所:明治大学リバティタワー13階1131教室
参加者:19名
江下、鈴木グループ(6)、西村グループ(4)、乗岡グループ(5)、上杉グループ(4)
欠席者:2名

1. グループ発表
(1)上杉班
発表者:中嶌、岩脇、上杉
課題本:『平凡の時代』(阪本博志 著、昭和堂、2008)
発表の範囲:第二章「誕生から躍進期まで」
【発表の概要】
『平凡』は文芸娯楽誌から大衆娯楽雑誌へとリニューアルされ人気となった。グラビア・小説とラジオ・映画が関連しあった誌面や読者参加型企画によって『平凡』はメディア史的な過渡期において「見る雑誌」としてだけでなく、見る雑誌・読む雑誌・歌う雑誌・参加する雑誌であったと言える。また「読者とともに」というスローガンが他の誌名と決定的に異なる特徴であった。
 
(2)西村班
発表者:チョウ、中村
課題本:『族の系譜学』(難波功士、青弓社、2007年)
発表の範囲:第五章「'Youth quake'とフーテン族」、第六章「旅するアイデンティティ、アンノン族」
【発表の概要】
第五章:新宿の陣容整えによってフーテン族が誕生した。フーテン族は①セックス②ゴーゴー③睡眠薬という「3種の神器」を使いながら1日中放浪する生活を送っていたが、その生活ぶりと汚らしい外見から「モラル・パニック」としてマスメディアに批判された。自分を自分から定義するフーテン族はその定義が曖昧になり分派が沢山あり、マスメディアによってステレオタイプ化された。
第六章:1970年に『an・an』、1971年に『non-no』が創刊されそれに影響を受けた女性が「アンノン族」と呼ばれた。アンノン族は女性進出のきっかけをつくり、能動的に消費する主体となったり趣味の幅を広げライフスタイルを変化させた。アンノン族は雑誌メディアの介在を前提としていた。またユース・サブカルチャーにとってのメディアとの関わり方、消費のあり方が変化した。
 
(3)乗岡班
発表者:平内、室井
課題本:『雑誌メディアの文化史〜変貌する戦後のパラダイム』(吉田則明・岡田章子著、森話社、2012年)
発表の範囲:第一章 戦後パラダイムと雑誌「「主婦」を巡るパラダイム転換 「婦人公論」と「暮らしの手帖」」「ライフスタイルの多様化と女性雑誌~1970年代以降のセグメント化に注目して~」
【発表の概要】
・「婦人公論」は「主婦論争」を引き起こし、それは主婦としての立場を確固たるものにした。「暮らしの手帖」は女性を「母」に囲い込み専業主婦にも働く女性にも抑圧的に働いた。二誌とも戦後それまでの女性のあり方を切り捨て新しい女性像を模索し読者に提示した。
・1970年代から2000年代にかけて女性のライフスタイルの多様化と共に女性雑誌が変化した。理想のライフスタイルや女性像をニーズに合う形で提示し、受け入れられてきた結果セグメント化された。基本的には既に選ばれた生き方に沿う現状肯定型のメディアとならざるを得なかった。
 
(4)鈴木班
発表者:鈴木、松田、春名
課題本:『青年と雑誌の黄金時代』(佐藤卓己 著 岩波書店、2015)
発表の範囲:第三章『現代思想』『non-no』
【発表の概要】
・1973年に『現代思想』が創刊された。70年代は新たな知を志向しつつも「現代思想」が一般名詞化するまでは無かったが、80年代には「現代思想」が「ポスト戦後思想」として位置付けられた。ドイツ的な「マルクス主義」がフランスの「現代思想」にとって代わり、これは思想雑誌群の中で差異化戦略として機能した。
『現代思想』の読者は大学院生を中心としており、大学の大衆化段階では読者共同体が安定していた。大学院の大衆化を大学人のニーズに対応することで現在でも大学で売れているが『現代思想』はアカデミズム外部へと開かれるようになってしまった為、大学人にとっての慰楽雑誌となってしまう危険性がある。
・『non-no』『an・an』の誕生が与えた影響は大きかった。『non-no』の特徴は読者目線であることと"数"が豊富で多種多様な記事を掲載していたことである。本誌に載せきれなかった情報を「ムック本」として刊行し人気雑誌のムック本ブームが到来した。ファッションの細分化に特化し雑誌が細分化されたことが『non-no』の今後に影響を与えた。
 
2 反省・先生からのコメント
積極的に質問する姿勢がもっと必要であると感じた。一つ一つの単語や文章に疑問を抱き、先生方に言われる前に自ら質問することが大切であると思う。
雑誌の発行頻度を調べることでその雑誌の売れ行きがわかり、それは雑誌研究を行う上で重要になってくるため意識していくことが大切である。
 
以上
 
文章担当:上杉班 中嶌
編集担当:上杉