2017年度の問題分析ゼミ第12回の議事録です。
日時:2017年7月4日15:20~19:00
会場:リバティータワー13階1131室
参加者:20名 江下、高橋、鈴木G(6)、上杉G(5)、乗岡G(5)、西村G(4)
欠席者:1名
1.インカレ
(1)ユースサブカルチャー
流行り顔の研究(女性に人気の男性の顔)
・JUNONで特集されている顔
・女性誌(nicolaやseventeen)なども研究していく
・男性誌は他にMEN's non-noなども
先生のコメント
・後付けでもいいので男性の顔に限定した理由を説明する
・顔を分析するにおいて分析軸、分類軸にしているものはあるか?
・「塩顔」「醤油顔」を細かく見ていって、いつ話題になっていつ消えたか、その時期の雑誌などを見てそこからどういう風に広げていくかを見つける。
(2)マスメディア
ゼクシィとゼクハラ
ゼクハラはドラマやマンガなどのメディアが影響を与えているのはないか?
先生のコメント
・何を最小限押さえるか?
・ゼクハラが本当にあるかどうかの根拠を見つける
・+αとしてR25、R30の女性誌の結婚特集を見てみる(MOREがいいのでは)
→そこから競合誌であるwithや25ansで補強する
・まずはゼクシィが推しているマンガや関連付けられるドラマを調べてみる
・ゼクシィといえばフラッシュモブが特徴的なのでそれも見てみるといいかもしれない
・「ゼクハラで話題の」でゼクシィをとことん突き詰めていくか「結婚観に焦点を当てる」のか好きな方でいったらいい
(3)街
銀座のカレーについて調べた。
・銀座の方が神保町よりも店舗が多い。カレー専門店というよりカレー〇〇みたいなのもある。
・高価格である。(神保町では高いものが格安ランチと特集される)
・オフィス街であるのとランチタイムにサクッと食べられるから店舗が多いのではないか?
・神保町は男性の街、銀座は女性の街?
先生のコメント
・どういうカレーが人気かを調べてそこから街の顔を調べると面白いかも
→カレーという視点から街の表情を読み解く
・普段対比されているような街、4つぐらいで十分では?
→神保町、銀座、渋谷は最低でも必要
2.個人発表
(1)
発表者:横山
課題本:『『ぴあ』の時代』
【発表の概要】
『ぴあ』は月刊誌でスタートしたが、情報をカバーしきれなくなり、1979年には隔週化した。隔週化で広告収入の分散などが懸念されたが、部数は落ちることなく広告も倍増した。また、1982年には『別冊ぴあ』が登場した。これは、従来の『ぴあ』が情報の羅列であったのに対して、ひとつひとつの作品について深く掘り下げる内容だった。1987年には『TVぴあ』も登場するなど、読者のニーズに応えて変化を遂げていった。1990年には『ぴあ』は週刊化した。また、チケット流通へも参入した。情報化に伴って、『ぴあ』は休刊したものの様々な分野に参入を果たしたこともあり、現在も「株式会社ぴあ」として『ぴあ』
の精神は受け継がれている。
(2)
発表者:松田
課題本:『VANストーリーズ』
【発表の概要】
VANというアイビーファッションは若者たちに熱狂的に支持されていた。石津謙介はVANの使用許可を得て有限会社ヴァンヂァケットを創立した。『メンズクラブ』のPR効果により、アイビーは浸透していった。64年には『平凡パンチ』の創刊によりVANとアイビーがマスコミに大きく報道される。東京オリンピックが開催により東京改造計画が行われそれに目を付けた謙介は、VANのオフィスを日本橋から青山に移した。次第にアイビーの服は全国で売れ始め社会現象までなった。謙介もファッションのカリスマとして注目を浴びる。70年代には売上高69億円を達した。しかし、在庫一掃を目的としてバーゲンセールを頻繁に行うなど、VANのイメージダウンにつながっていった。78年には負債額500億円を抱えVANは倒産した。謙介はその後、経営者から文化人へと変化し成功を遂げた、05年に息を引き取った。現在も謙介はファッションの神様として評価されている。
(3)
発表者:中新井田
課題本:『ギャルと「僕ら」の⒛年史』
【発表の概要】
『Cawaii!』は女子高生ブームの火付け役として絶大な人気を誇った。その読者の受け皿として2000年4月に『S Cawaii!』が誕生し、大人ギャルをコンセプトに元カリスマ店員の森本容子を表紙に起用した。『Cawaii‼』と『S Cawaii!』は読者層が被るところもあり、読者の奪い合いの事態が発生していた。そこで、2誌の共存を図るため『Cawaii‼』は大人路線との差別化を図るために元気系にシフトし、安室奈美恵や浜崎あゆみを表紙に起用した。「タレント路線」を強化した。その後、新たなコンセプトとして「セレブ女子高生(セレ女)」を打ち出し、肌の黒くないおしゃれな女子高生をメインターゲットにした。しかし、渋谷の活気が衰退の一途をたどり2009年6月号で休刊となった。これ以降、『hana*chu→』などの雑誌の休刊が続く。このことから、読者のニーズに応え続けることに対する難しさが分かる。
(4)
発表者:春名
課題本:『銀座Hanako物語~バブルを駆けた雑誌の2000日~』
【発表の概要】
『Hanako』は1988年6月2日にマガジンハウスより創刊された。首都圏限定発売で、読者のターゲットは27歳の女性である。創刊から2005年までは週刊誌、2006年以降は隔週刊誌となり、現在も刊行されている。『Hanako』は主に2つのテーマを読者に紹介していた。それは、海外ブランドと食べ物だ。海外ブランドはシャネル・ティファニー・コーチなどのハイブランドの紹介をした。また、商品の紹介にとどまらず海外ブランドのプレスの活躍なども紹介した。「プレスになる最低条件」という記事などで読者の興味を駆り立てた。食べ物は、ティラミス・タピオカなど海外が発祥を紹介し、日本で流行らせた。バレンタインデーなどの行事もそれと同様である。編集者の椎根和はひねくれものとして有名だったが、そのセンスは群を抜いていた。日本に新たな流行を発信する人物だった。
(5)
発表者:中嶌
課題本:『ファッションの記憶 1960年~70年代 おしゃれの考現学』
【発表の概要】
1970年代、洋服の大変革期が訪れた。それは、手作りから既製服へという流れである。この頃、映画はお洒落の手本の役割を果たしていた。映画の中でのお洒落として有名な作品として、ローマの休日・裏窓・麗しのサブリナ・ガールズ・ルール!などが紹介されている。ただし、映画はあくまでもフィクションであり、実際のおしゃれについては街で定点観測を行っていた。定点観測では60年代後半にヒッピー、カントリーファッション、第一次アイビー・ブーム。69年にパタロンブーム、70年代にミニスカート、第二次アイビー・ブーム、71年にベルボトムジーンズ、72年以降に第三次アイビー・ブームへと続く。ひとつひとつの流行りは前後の時代とつながりを有しており、それらの流行をみていくことは当時の人々の生き方や社会への考え方を知ることにつながっている。
(6)
発表者:乗岡
課題本:『女学校と女学生教養・たしない・モダン・文化』
【発表の概要】
堕落女学生は、恋愛や性関係で身を崩した学生のことを言う。彼女らは文化のつまみ食いをするということで「二流の」文化の象徴だとして批判の対象となった。この堕落女学生の中から不良学生へと変遷していったとされているが、実際は新しいカルチャーが不良であった。女学生の不良化は進んでいなかったとされている。また、ミッション女学校は西洋化のシンボルとして批判された。西洋的な思想・教養を結びつける「大正教養主義」であり、日本式教育である「良妻賢母主義」とは一線を画した独自の教育方針が校風となっていた。
ミッション女学生は「他者としての西洋」として批判される。女学生文化は独自の文化を醸成していったが、大学に通う女学生は、女子の虚栄心の表れの象徴であると揶揄された。軽薄な知を伴った女子学生は、戦後の「女子大生」観へとつながっている。
(7)
発表者:鈴木
課題本:『渋谷系』2
【発表の概要】
80年代に輸入レコード店が登場し、90年代に宇田川町は世界一レコード店の多い街となった。93年、雑誌『apo』では渋谷系という言葉が取り上げられている。渋谷系の前には下北沢に多くのミュージシャンが集まっており、下北沢は渋谷系の母とされている。渋谷のクラブの紹介により下北沢を拠点としたグループが渋谷に進出を果たした。その代表的なグループがフリッパーズギターである。レコード店やクラブ、バーが音楽ファンのたまり場となり、渋谷系は発展していった。しかし、95年~96年頃にはアーティストが人気を博しすぎたことで大規模な会場でライブをするなど客との距離が遠くなる。これ以降、マーケティング目的の音楽が増加し渋谷系は衰退の一途をたどっていった。
以上
文担当:福田
編集担当:上杉