2020年度問題分析ゼミ第3回の議事録です。
日時 : 2020年5月26日(火) 15:20-18:30
会場 : zoom
参加者 : 23名
江下、高橋、矢野G(6名)、三ツ松G(6名)、安藤G(5名)、佐藤G(4名)
欠席者 : 1名
遅刻者 : 1名
1 連絡事項
関大、関学とのワークショップのグループ分けを始める。
現レベル2の状態からレベル1に緩和された場合、大学にてゼミを開催する可能性がある。
2 グループ発表
(1) 矢野グループ
・発表者:兼杉、澤
・課題本:『昭和ドラマ史』(こうたきてつや著、映人社、2019)
・発表範囲:昭和ドラマ史<拡充期>1970-1974 脚本家の時代の到来1975-1979
[概要]
1970-1974
ホームドラマは『ありがとう』をきっかけに脱構築される。今までの家族の絆や人情といった家族経営の教科書のようなドラマではなく、現実的な家族のあり方を描くように切り替わった。
青春ドラマは『青春とはなんだ』をきっかけに誕生した。しかし、高校生活や熱血教師というシナリオに限界を感じ、段々と熱血教師から虐めなどの現実的な青春ドラマに変わっていく。
時代劇においても従来のホームドラマ寄りの『水戸黄門』から70年代には『天下御免』や『必殺仕事人』といった社会問題意識の投影化されたものに変わっていった。
1975-1979
この時代では脚本家一人によるオリジナルドラマが主流になった。その流れを作り出したのがNHKの「土曜ドラマ」である。この「土曜ドラマ」の第一弾の脚本家は山田太一である。彼の代表作『岸辺のアルバム』では一家の崩壊を繊細な感情表現で描き、社会問題を取り入れた。
向田邦子は土曜ドラマで『阿修羅のごとく』では家族の秘め事や感情を食にまつわる例えで描写し、ドラマ人間模様『あ・うん』では男と女の気配を状況描写とモノローグで静かに漂わせ、この2作品で動と静の情念描写をしていた。
(2) 三松グループ
・発表者:岩本
・課題本:『90年代テレビドラマ講義』(藤井淑禎著、平凡社、2018)
・発表範囲:90年代テレビ講義 第4,5章
[概要]
第4章
技術革新によりカメラの小型化や編集のコンピュータ化、ステレオ放送の一般化され、90年代ドラマに追い風となった。『青い鳥』では闇と明暗の表現により、今までの映像表現とは一線を画した。『青い鳥』の2年前に放送していた『恋人よ』では闇と明暗の表現はできなかったものの、鮮明で迫力のある映像や音楽表現によってドラマ要素を充実させた。
第5章
ドラマやアニメの楽しみ方の一つであるロケ地巡りだが、この頃はネット情報がなかったため、自分で手掛かりを見つけ、探していた。今とは楽しみ方が異なり、この苦労を伴って達成感が生まれた。『若葉のころ』では丘の上の木が重要なロケ地であった。しかし、週刊誌にしかヒントはなく、木や景色も変わってしまうため、今では見ることは難しい。「スウィートシーズン」では生活音や機械音が入っていたため、ヒントも多く、ロケ地に行きやすかった。このようにロケ地はドラマの世界に直接触れられる機会であり、ドラマ要素の充実に貢献していた。
(3) 安藤グループ
・発表者:小野寺
・課題本:『昭和バラエティ番組の時代』(田村隆著、河出書房新社、2018)
・発表範囲: 昭和43年-48年のバラエティの歴史
[概要]
昭和44年、歴史に残る3つのバラエティ番組が放送開始した。一つ目は『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』である。この番組はゲストの女優と野球拳をし、負けたら一枚服を脱いでいくというだけの番組だったが、出演者の単純明快なリアクションが視聴者に受け、人気が出た。二つ目は『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』である。この番組の人気の理由はバラエティ番組には似つかわしくない俳優を多く起用し、ミスマッチを狙ったキャスティングが視聴者にうけ、3シリーズまで放送された。三つ目に『8時だヨ!全員集合』がある。これはドリフターズの良さが前面に出されるコントが視聴者に受け、バラエティ番組で未だ破られていない最高視聴率50.5%を記録した。
他にも様々なジャンルにバラエティ色が加味されていった。
(4) 佐藤グループ
・発表者:宮下、田邊
・課題本:『深夜のラジオっこ』(村上謙三著、筑摩書房、2018)
・発表範囲:第5章とあるリスナーの数奇な運命 第6章「お笑い」だけがラジオじゃない
[概要]
第5章
伊福部崇は深夜ラジオのヘビーリスナーであり、伊集院光や電気グルーヴの影響を受け、構成作家に興味を持ったのがきっかけであった。彼はラジオ各局で活動した後、ラジオ以外の業界でも活躍をした。
97年頃、声優によるラジオ(アニメラジオ)が増加した。声優は芸人とは異なり、面白さを期待されないため、フラットな立ち位置でパーソナリティを務めることができるというアニラジならではの自由がある。
第6章
大村綾人は伊集院光のラジオを聞いたのがきっかけでラジオにはまり、FAX投稿や自作ラジオを行うほどであった。
構成作家は同じディレクターとタッグを組んで制作することが多いので、人との縁が重要になる。制作においては構成作家、ディレクター、パーソナリティの三竦みの状態が良いとされている。
現代のラジオは情報大量消費社会の今だからこそ、成功する企画は多い。また、生放送によって、台本通りでないアドリブの面白さが一番伝わる。
3 反省
リモートということもあり、音声の乱れなどによって、十分に発表ができず、質問も消極的になってしまいがちである。
作成:倉沢
編集:佐藤