2020年度問題分析ゼミ第5回の議事録です。
日時:2020年6月9日(火)15:20-18:35
会場:zoom
参加者:22名
江下、矢野G(5名)、三ツ松G(6名)、佐藤G(5名)、安藤G(5名)
欠席者:1名
遅刻者:1名
早退者:1名
1 連絡事項
ワークショップについて
・6月28日までに企画書提出
・7月11日 全体会合開催
2 グループ発表
(1) 三ツ松グループ
・発表者:初沢
・課題本: 「コミックス」のメディア史 (山森宙史著、青弓社、2019)
・発表範囲:序章 マンガ研究と「コミックス」
[概要]
1960年代から様々なマンガ研究がなされてきた。しかし、それらは雑誌中心主義に陥ったものばかり書籍と雑誌のどちらにも明確には区別されない形態である。ゆえにコミックスは雑誌でも書籍でもないまったく別の出版メディアとしてのマンガを考える上での新たな視座になる。
(2) 矢野グループ
・発表者:矢野、澤
・課題本:ハリウッド100年史講義(北野圭介著、平凡社、2001)
・発表範囲:序章 ハリウッド前史
第1章 ハリウッド誕生
第2章 夢見るハリウッド
[概要]
序章
19世紀末のアメリカにて今日における「映画」が形成された。初期のアメリカ映画は「見世物」としての映画であった。だが、エドウィン・ポーターによって映画を製作・上映・鑑賞する人の区分けがなされ、映画は物語を視覚的に綴る「語る」映画へと転換した。
第1章
アメリカの映画界には次第に様々な映画産業構造が構成されていった。ここに第一次世界大戦が勃発し、比較的被害の小さかったアメリカの映画界は世界のトップへと躍り出ることとなる。「ハリウッドの父」であるD・W・グリフィスは「語る」映画の各種技法・語法を体系化するなど映画産業の発展に努めた。そして、事前知識なしでも語られる物語を混乱なく理解できることを大原則とした「古典的ハリウッド映画」の制作が始まっていく。
第2章
1920年代のハリウッドは制作、配給、上映を垂直に統合した構造的連繋を持っていた。この頃の映画はスターの誕生や技術の進歩により着実に進化しており、1930年代にはトーキー革命により黄金期を迎える。世界恐慌による興行収益への打撃や倫理規定による内容制限などはあったが、技術の向上や新ジャンルの開拓を経てハリウッド映画はアメリカ経済の中で確固たる地位を確立し、「ザ・アメリカ文化」となった。
(3) 安藤グループ
・発表者:安藤
・課題本: 『女性雑誌とファッションの歴史社会学』(坂本佳鶴恵著、新曜社、2019)
・発表範囲:序章 女性雑誌の歴史とファッションの研究
1章 大衆向け女性雑誌の歴史的変化
2章 洋装化と家事の一環としての衣服
3章 戦前の女性雑誌と服装の流行
[概要]
序章
女性雑誌は2000年頃まで20代女性に大きな影響を与えてきた。本書では女性雑誌と女性やファッションとの関係を考えていく。
1章
女性雑誌の始まりから1990年代までは大きく3つの時代に分けられる。まずは儲けよりも主義主張を目的とし、女性の啓蒙・教養を重視した思想の時代だ。次に貯金や病気、愛情についてなどを扱った主婦向けの家庭実用誌が全盛期を迎えた主婦の時代が訪れる。次いで高級志向やカラーの写真や絵の多用を特徴とし、広告収入にも力を入れたビジュアルと広告の時代へと変遷した。読者層も中・上流階級、主婦、十代後半から二十代の若年層や特定の狭い範囲などへと変化していった。
2章
明治末期に手軽で衛生面や経済面でも優れた洋風の束髪が普及した。対して洋服の普及が始まるのは昭和になってからだった。大正に入ると女性雑誌が和服のデメリットを強調し洋装化を推進するようになる。これが文部省主導の生活改善運動などの動きと相まって簡便で安価な洋服は少しずつ普及したものの、比較的若い世代の一部が中心で全体にはなかなか広まらなかった。
3章
戦前の女性誌は服装の流行にも関わりを持っていた。明治や大正のころは芸者や呉服店が流行の中心であったが、当時は外見と身分の一致が重視されていたために読者層は洋装化を進める上級階級の女性を流行の源泉とした。昭和に入ると女優のイメージが変化し、流行の源泉としての役目を担うようになる。その後は銀座や西欧文化関係者が流行の担い手となって海外の情報が取り込まれるようになり、百貨店を中心に新たなファッションが流行した。しかし、女性雑誌の衣服に関する記事は決して多くはなく、基本的には実用性重視であった。
(4) 佐藤グループ
・発表者:高橋、川戸、佐藤
・課題本: 『興行師たちの映画史』(柳下毅一郎著、青土社、2018)
・発表範囲:第1章 映画という見世物の誕生
第2章 エキゾチズムと偽ドキュメンタリー
第3章 魔術師の映画
[概要]
1章
リュミエール兄弟が世界初の撮影と英社の機能を持つ複合映写機であるシネマトグラフを発明したことで映画が盛んになる。映画黎明期の映画は、作者の内的必然性ではなく外部の要請によって形が決められていた。大衆は好奇心とエキゾチズムを望んでおり、そのためこの頃の映画は金銭的利益を追求し、過剰さを美学とするエクスプロイテーション映画と呼ばれるものが主であった。
2章
観客がエキゾチズムを求める中、スターを起用する必要のない演出されたドキュメンタリーが盛んに制作された。正確性よりもエンタメ性が求められており、過激な演出やテーマを用いたモンドムービーが観客を魅了した。フェイク・ドキュメンタリーは観客の求めに応じてさらに過激さを増していった。
3章
20世紀最大の脱出芸人であるハリー・フーディーニは、映画を自分のカリスマを拡大する手段として用いた。彼は脱出芸人としての名声や演出を利用し、やっていないこともやったように見せかけ、まるで魔術のように観客を信じ込ませた。オーソン・ウェルズやバスター・キートンは彼の後継者であり、観客を幻惑させるフーディーニの魔術は受け継がれている。
2 反省
オンラインゼミも回数を重ね、かなりスムーズに進むようになった。質疑応答の活性化が課題となるだろう。
作成:西本
編集:佐藤