2020年度問題分析ゼミ第10回の議事録です。
日時:2020年7月14日(火)15:20-18:10
会場:zoom
参加者:22名
江下、高橋、矢野G(5名)、三ツ松G(6名)、佐藤G(5名)、安藤G(6名)
欠席者:2名
遅刻者:0名
1 連絡事項
インカレワークショップの連絡先について。
2 グループ発表
(1) 矢野グループ
・発表者:澤、大森
・課題本:『放送の五十年』(NHK編、日本放送出版協会、1977)
・発表範囲:第三章、第四章
[概要]
第三章
1945年から1950年代前半、GHQの占領下においてラジオは民主化が進んだ。言論・表現の自由が認められ、「聴かせる」ラジオから「聴かれる」ラジオへと変化した。また、戦後不況の中ラジオは社会問題の共有・解決に大きな役割を果たした。1950年には電波三法が成立し、放送態勢は新しく生まれ変わった。
第四章
全国各地に民放が開局し、ラジオは黄金期を迎える。クイズ番組やドラマが人気となり、ラジオ局数や受信契約数はピークを迎えた。また、NHKと民放でテレビ放送が開始され、街頭テレビが設置されるようになった。
(2) 三ツ松グループ
・発表者:初沢
・課題本:『メディアの生成』(水越伸著、同文館出版、1993)
・発表範囲:第三章
[概要]
テレ・コミュニケーション事業の独占的大企業であったAT&Tがラジオに進出した。AT&Tはチェーン放送のビジョンを掲げるも、ラジオの普及に伴い混信が社会問題化した。20世紀初頭は、ラジオはテレ・コミュニケーションの延長と捉えられており、ラジオの社会的特性をつかめていなかった。しかし、1927年に無線電波が公衆のものであると明文化され、1932年にはラジオ産業体制が確立した。
(3) 安藤グループ
・発表者:安藤
・課題本:『日本流行歌変遷史』(菊池清磨、論創社、2008)
・発表範囲:第一部
[概要]
外資レコード産業が到来し新録音システムが導入された。大正時代に歌の入った創作曲が誕生し、昭和時代には流行歌が大衆に届けられた。昭和初期には、若者の間で洋楽が人気となるも、戦争により洋楽に対する規制が厳格化した。歌謡曲は社会情勢や民衆の心情に合わせて系統も変化していた。
(4) 佐藤グループ
・発表者:宮下
・課題本:『拡張するテレビ』(境治著、宣伝会議、2016)
・発表範囲:第二章、第三章
[概要]
見逃し配信は当初、権利関係の問題を解決できなかったため有料だった。しかし、TVerがスタートするとダウンロード数とCMセールスが好調となり、広告手法を多様化した。人々のテレビ視聴形態は多様化しているため、それに合わせた視聴計測を形成する必要がある。
2 反省
積極的な質疑応答がなかった。
作成:若松
編集:佐藤