2021年度問題分析ゼミ第7回の議事録です。
日時:2021年6月1日(火)15:20-19:00
会場:1105教室、zoom
参加者:22名
江下、高橋、摂待G(5名)、金内G(5名)、田中G(5名)、伊藤G(5名)
欠席者:0名
遅刻者:0名
1 グループ発表
(1) 田中グループ
・発表者:村上、吉川
・課題本: 『スター女優の文化社会学』
・発表範囲:3章-4章
[概要]
第3章
日本国内だけでなく海外でも人気を得た京マチ子。その人気の秘訣は欧米にも匹敵する肉体だけではなく、「陽性」のエロティシズム(戦後の明るさや開放感の象徴)をもち、暴力的で主体性を持った新たな「ヴァンプ」を体現させたことにある。
第4章
占領期には、明確な未来像を描けずにいた人々に対して「理想の社会や女性像」を提供した映画や女優が高い評価を得た。原節子は人々の理想の女性像に合致したことでスター女優となったのである。
〈質疑応答〉
質問1:「今の俳優はアシスタントの方が衣装を用意していたが、当時は俳優自が用意していたのだろうか?」
回答:「当時は自分で表現していたと思われる。」
質問2:「手塚治虫の描いた漫画が焼かれたりしていたが、それはカストリ雑誌で掲載していたことと関連しているのか?」
回答:「当時はキスがかなりデリケートなものとして考えられていたため、拳銃天使事件という子ども向けの漫画にキスシーンを入れた手塚治虫は大バッシングを受けた。また、手塚治虫が赤本出身の漫画家ということもあり、周囲の漫画家からも敬遠されていた。
〈補足〉
すぐに廃刊されてしまうような雑誌のことをカストリ雑誌と呼ばれ、映画やドラマと違い安価で大量に作ることができたため、雑誌が流行した。これらのことから転じて、手っ取り早く楽しめる質が高くないものをカストリ文化と呼ぶようになった。その中から赤本と呼ばれる雑誌が誕生した。手塚治虫が代表的である。戦前・戦後の映画の研究になるとメインは監督や俳優などの「人」がメインとなる。1950〜60年代の日本映画の最盛期において世界的にも有名な監督が黒澤明・小津安二郎・溝口健二が挙げられる。
(2) 摂待グループ
・発表者:平田、高柳
・課題本:『テレビ・コマーシャルの考古学』
・発表範囲:3章-4章
[概要]
第3章
初期のテレビCMで用いられる音楽はインストゥルメンタル音楽が多く、歌が入っているものはほとんどがCMソングであり、徹底的に非歌謡曲の世界をつくろうとしていた。
第4章
アニメーションCMは昭和30年代、アニメーションのメインストリームであった。現在の日本のアニメーション業界の発展は、この頃に培われたノウハウが生かされている。昭和30年代のC Mアニメーション制作の時代が日本アニメーション業界に大いに貢献しているといえる。
〈質疑応答〉
質問1:調査において、対象となるものは基本的に全て目を通すものだと思われる。そのため、CM調査におけて全部のCMを見たわけではないと言っていたが、それは本当か?
回答:『ざっと外観した感じだと』と本書に書いてあるため、そのように判断した。
質問2:CMアニメーションが衰退した原因として具体的なものはあったか?
回答:実写の技術が上がったことはもちろんだが、以前は俳優がCM出演を拒んでいたという背景がある。その後、徐々に俳優が出演するようになったということも挙げられる。
〈補足〉
基本的に調査対象となるものは、いかなる数のものを調査することになっても全て調査するのが前提とされている。日本において「アニメーション」とは、基本的に絵が動く漫画映画のことを指すが、本来はパペットを動かしたものも含まれる。日本では漫画原作が海外に比べて多かったことが、日本でパペットが流行らなかったことの理由として考えられる。
過去の日本におけるアニメの制作現場では、セルの節約はよく行われていた。アニメの最先端を行っていたディズニーでは1秒24枚のセルを使用していたが、日本ではディズニーほどの資産や人員などの余裕がなかったため、1秒6〜8枚ほどしかセルを使用していなかった。
(3)金内グループ
・発表者: 金内、荒牧
・課題本: 『広告で社会学』
・発表範囲: 5章-7章
[概要]
第5章
社会において「女性とは である」「男性とは○○××である」といった前提をジェンダーと呼び、時代や地域によってさまざまなありようがある。逆に生物学的な性別がセックスであるとされてきた。またジェンダーというテーマは、教育さらには階層の問題とも連関している。
第6章
今世紀に入るあたりから、テレビを主とするメディアの利用時間が減少し、マスコミュニケーションの退潮がさまざまに議論されてきた。マスメディア研究を人間社会の変化を辿っていくことがメインとなる社会学的視点から考えていくと、メディアそのものがネットワーク化やモバイル化によって、ここ数年急激に変化しているため、そうした興味深いテーマがいくつも出てくる。
第7章
1970年から2000年の日本は団塊の世代や第二次ベビーブーム世代の人口が多く、人口ボーナスの時代と言われたが、今後の人口は減る一方で、若者への注目度も下がってきている。
〈補足〉
1975年、ハウス食品のCMにおける「あたし作る人、僕食べる人」というコピーが問題視された。これは日本初の広告に対する抗議である。テレビの中のジェンダーの取り扱い方は変化しており、1978年「蜜の誘惑」、1996年「幸せの予感」などのドラマでは、同性愛はセンセーショナルな話題であったため、シーン自体が話題になっていた。一方2018年の「おっさんずラブ」において同性愛は前提条件に過ぎず、コメディ作品として成立するものになっている。
(4) 伊藤グループ
・発表者:一山、力丸
・課題本: 『映像文化の社会学』
・発表範囲: 9章-11章
[概要]
第9章
医療における診断術は患者の語る内容によるものから、医療技術と技術開発の進展により、映像技術に依拠した診断術へと変化した。いまや、私たちの身体は脳内から血管まで余すところなく可視化されるようになった。そして、医療技術を検討することは、現在の映像文化と私たちの関係を再考することにもつながる。
第10章
私たちの日常は、警察や軍事の映像に囲まれているが、街中にある指名手配被疑者のポスター写真に違和感を覚える。また、最も日常的な警察や軍事の映像として監視カメラの映像であるが、テレビなどで監視カメラの映像を見ると、私たちは何か不安や恐怖を覚えてしまう。
第11章
映像は人類学者が調査対象のありのままを記録するために、重要な役割を担ってきた。また、撮影された写真や映像は、人類学的な分析や考察のデータとなり、その成果を公開し、プレゼンテーションするための手段でもある。映像=人類学は、今後何を見出していくのかに期待されている。
〈補足〉
戦争とは本来生々しいものであるが、遠隔型ミサイルの登場によって生々しくない戦争という矛盾が生まれた。医療行為においても遠隔による手術が可能になっている。人類学とメディアの親和性は高く、蓄音機も人類学において、世界の言語のライブラリーとして用いられようとしていた。「フィクションはノンフィクションであり、ノンフィクションはフィクションである」ということがよく言われる。ノンフィクションは実際には撮影者の意図や切り取りが存在するため、フィクションなのではないだろうか。放置しておいたカメラにたまたま映り込んだものだけが、ノンフィクションとして言えるのではないか。
2 反省
発表にたいしての質問の回数が増えてきた。この調子でより内容を深めていきたい。
作成:小坂井
編集:田中