2022年度問題分析ゼミ第12回の議事録です。
日時:2022年7月5日(火)15:20-18:50
会場:リバティータワー1141教室
参加者:21名
江下、高橋、村川G(4名)、三浦G(5名)、米田G(5名)、山岡G(5名)
欠席者:1名
遅刻者:1名
1 グループ発表
(1)グループ
・発表者:三浦、澤村
・課題本: 『ケータイ社会論』(岡田朋之・松田美佐、2012)
・発表範囲:第7章 子ども・学校・携帯、第8章 都市空間、ネット空間とケータイ、第9章 ケータイと監視社会
[概要]
第7章
高学年になるにつれ、ケータイはコミュニケーションに欠かせないツールであり、PCよりケータイの利用が多い。ケータイはいつでもどこでもインターネットに繋がれるものという考えから、お風呂でも使える防水ケータイが登場。「5分ルール」もしくは「3分ルール」という、なるべく早く返信しないと仲間はずれにされたりネットいじめの対象となったりといった強迫観念があった。
ネットいじめは学校の空間を超えた存在であり、学校裏サイトという非公式サイトも登場した。部活などの情報交換としてポジティブに使われる部分もあったが、誹謗中傷の書き込みといったネガティブな側面もあった。アクセス制限や隠語の使用などにより、教師が閲覧しにくかった。その結果、フィルタリングの必要性が出てきて、各種法令の整備が進んだ。しかし、子供の反発により実際にはフィルタリングの利用率は低かった。また、フィルタリングはリテラシーの醸成を阻害するとの意見もあった。
当時情報モラル教育はPCを対象としたものであり、ケータイに特化したものが登場。2003年からはモラル教育中心の「情報」科目が設置された。しかし、リテラシー・テキスト特性に特化した教育ではなかった。さらに、教科書検定制度の問題から、教育現場が現実よりも遅れた情報を提示することが多かった。教育への活用事例として、ケータイメールの一斉送信によりPCより早く確実に情報を保護者に届けることが可能に。また、デジタル教科書の導入なども行われた。ケータイはコミュニケーションのあり方を変化させた。ケータイを持ちながら交わす会話は本音を語らない表面的な会話が多く、教室内で本音を交わしたくなく、ネット上の友達と本音で会話をする傾向があった。「オンライン・ペルソナ」は、ネット上の交流を広げるために、ネット上の友達にも気を使うようになり、ネット上のコミュニケーションの充実という願望が加速された。また、子供だけでなく大人にもケータイ・リテラシー教育の必要性が解かれた。
第8章
都市には「自由」と「孤独」が混在していたが、ケータイの登場は「孤独」から人々を解放させた。ケータイなくても成立するのになぜ成立したのかについて、「絶え間なき交信」が指摘されている。ここには、「儀礼的無関心」や「不関与の規範」が存在する。ケータイは、都市空間において、他人の存在に無関心を装うという一定の秩序を乱す。
ケータイは「インティメント・ストレンジャー」(匿名性を前提としたメディア上の親密な他社)と「ファミリア・ストレンジャー」(顔は知っているけど話したことない人)を融合させた。つまり、対面的世界と非対面的世界の融合であり、これまでと異なる時間と空間の感覚である。
前近代社会では、時間と空間は結びついていた。太陽の位置から時間を考えたり、家事をはじめとした周りの人々の行動は結びついており、空間と場所は同一視されていた。しかし、近代社会ではインターネットの普及により、時間と空間が分離された。特定の場所や時間にとらわれない、地球規模的な仕事が可能になった。
モバイルの空間はケータイによって私たちのいる位置情報が示されたが、リアルタイムでは時計の時間を有効に利用し、いつでもどこでもすぐに課題をこなせるようになった。過去を記録するメディアから今を共有するメディアへと変化した。
現在の情報社会はリアルとヴァーチャルの融合である。VR、ARを経て、MRが登場。ケータイは都市空間をAR空間へと変化させた。
「初音ミク」のライブは、AR技術を用いた世界観を示した。「ラブプラス」は現実の時間と現実の時間を連動させ、現実空間とゲーム内・ネット内時間が同期した
第9章
現代社会での情報の扱われ方を知り、ケータイの情報管理を理解することにより、ネット社会化の時代の中で自分自身に関する情報発信のリテラシーを考える。
2005年に施行された個人情報保護法は、対象をある程度特定できる属性情報は含まないとされた。パノプティコンとは、ベンサムの考えた一望監視施設である。監視者は常に囚人を見ることができるが囚人は監視者を観測することができないものであった。その結果、囚人は実際に監視されているのか関わらず、自分を律す量になった。フーコーは、現代社会における自律の意識が私たちの内面に存在すると考えた。
一方、監視によって個人の自由が脅かされるとも考えられており、情報発信の際に契約者固有IDやIMEIといった情報が標準で発信されている。悪用された場合、プライバシーが脅かされる懸念がある。
<質疑応答>
質問1:「インティメント・ストレンジャー」と「ファミリア・ストレンジャー」とケータイの都市空間との関連性を知りたい
回答:インターネットに接続されたケータイが入ってくることにより、メディアの世界が現実世界に介入したことにより、融合した。ケータイは都市空間に持っていくことにできる。PCは都市空間に持っていくことはできない。
質問2:7章の学校教育に関して。情報モラル教育やコミュニケーションに関してはデメリットがあるが、教育において良い面が記載されていた。一方で生徒にケータイを持たせることは、PCルームで先生が監視するという今までの公的状況からプライベートに関するものへと変化した。講義関して筆者の記載はあったか。
回答:本への記載なし
(2) 山岡グループ
・発表者: 荒木、田島
・課題本: 『ケータイの2000年代 成熟するモバイル社会』(松田美佐・土橋臣吾・辻泉、2014)
・発表範囲:第5章 メディア利用に見る恋愛・ネットワーク・家族形成、第6章 ケータイは友人関係を変えたのか、
[概要]
第5章
これまでの若者のメディア利用と恋愛に関する実証的研究は、携帯利用派とパソコン利用派の間の性行動の分極化があったが、学生のみに関するものであった。全世代におけるメディア利用と恋愛、日常的な人間関係の社会問題について考察する。
交際経験のない・恋人のいない時期、交際中の時期、結婚後に分類できる。
交際経験者と交際未経験者のメディア利用の差が男性において優位であった。これは戸外での連絡を取る必要性や、流行などに対する関心度が影響していると考えられる。
リア充という言葉に代表されるように、本章では恋人がいることが生活満足度に影響していると仮定したが、結果はそうではなかった。一方、結婚経験と生活満足度には正の相関が見られた。特に女性の場合、結婚によって人間関係が変化し、性別同質性が増加した。
一般的な男性の恋愛に関わる行動特性を反映してメディア利用の分極化があった。また、恋愛は結婚して生活満足度を得るための準備段階であり、その交際をサポートするのがケータイである
第6章
若者の人間関係が希薄科しているという指摘(1980半ば)、や希薄化というよりむしろ濃密化しているという指摘(2000年代、これをフルタイム・インティメント・コミュニティと呼ぶ)があり、人によって指摘がバラバラ。これを2001から震災のあった2011年で整理する。その際、①友人数の変化、②友人関係とケータイの基本的利用の関連、③友人関係とケータイの基本的な利用との関連は、属性等の変数を統制しても見られるのかに着目
結果は、この10年において、友人数、付き合い方どちらも縮小傾向、しかし、震災による一時的なものである可能性あり
<質疑応答>
質問1:濃密化とは友人関係の選択化による濃密化?
性別同質性とは、同じ性別の人といっぱい関わる?
回答:質問の通りである
(3) 米田グループ
・発表者:劉、斉藤
・課題本: 「ポスト・モバイル社会 セカンドオフラインの時代へ」(富田英典、2016)
・発表範囲: 第6章 子育て空間におけるつながりとメディア利用、第7章 モバイルコンテンツの未来、第8章 大学生の現代的恋愛事情とメディア利用、第9章 スマートフォンの普及と日常の「電子化」
[概要]
第6章
子育ての空間における母親間の相互のメディア利用、相互関係で非言語的な手がかりとスマホからの想像力を喚起することについて
モバイル端末は新たなコミュニケーションメディアとして、「つながり」に大きな影響を与えた。現代社会の「つながり」の理解には、「オンライン」におけるつながりを意識した上で「オフライン」における対面でのつながりのマネージメントを考える必要がある。
子育て中は、乳幼児のケアから、頼るべきオフラインネットワークである支援ネットワークへのアクセスが遮断される。そのため、メディアを活用したオンラインネットワークによるサポートが必要。現在、モバイルメディアの時代では、オンラインとオフラインの場がハイブリットに存在する「テクノソーシャル」が重要である。以前は子育て中の母親が公園相互関係に関わる「公園デビュー」が存在したが、このような突発的な非言語的な相互関係が生じず楽なった。その結果、「子供への態度」にも変化が生じている。
現代では子育てに関する情報がモバイルメディアからさまざまな情報が得られるが、現実には子育てとメディアのつながりがうまくいっていなく、子育てにおけるメディア利用はネガティブな印象がある。
第7章
「より遠くへ」というコンテンツ志向を持っていた電話は、モバイル化を通して「究極の近く」の「私・今・ココ」を志向するようになった。
電話の歴史をコンテンツとして見ると、テレフォンの「テレ」からも分かるように「遠く」ということが重視された、「遠隔志向コンテンツ」であった・電話のモバイル化は、「他人をシャットアウト」しながら「いきなり他人を呼び入れること」を可能にした。モバイルメディアとしての電話は遠隔志向でありながら近接志向であるというパラドキシカルなコンテンツと特徴づけられる。モバイル時代の遠隔化は、遠隔かつ低文脈になった。例えば、ライブドアニュースは記事内容以外に冒頭3行でまとめられており、それだけである程度の内容がわかるようになっており、文脈性の低下が見られる。一方「より近くのこと」が「豊かな文脈で感受できる」ような対極的なコンテンツも現れた。他人や外界を撮ることを目的としたカメラを「セルフィー」や「自撮り」といった自分の内部を表現するために用いるようになった。
第8章
大学生にとって、恋愛は楽しいと考える人がいる一方でネガティブな態度をとる人が多くいることもわかっている。恋愛が憧れの対象であれば、このような消極的な態度は不自然ではないか。SNS上の家族や友人とのコミュニケーション、情報をネット上で得るなど、大学生はオンラインを参照しながらオフラインを生きているといえる。
調査の結果、恋愛に消極的な人はゲームやアニメを好み、ファストフードに一人で行くことが多かった。友人に恵まれていると感じている人ほど恋愛消極性が低かった。ルックスや才能などの個人的要因よりも人間関係の構築が重要といえる。
漫画やアニメは「ここではないどこかへ連れて行ってくる」という特性があり、将来に漠然とした不安がある人々にとって、逃避場所としての意味を持つ。セカンドオフラインの感覚は、「ここではないどこか」というオタク意識を持つ人々だけでなく、一般的大学生にも当てはまる。この傾向を理解することが現在の大学生の理解の上で役立つのではないか
第9章
2000年代以降の、人々がSNSやソーシャルメディア上で人々が監視したり監視されたりする状況を「リキッド・サーベイランス」と定義した。一方向的な監視という「パノプティコン」から、相互的な「ポスト・パノプティコン」社会に移行した。
iPhoneの登場は機器ごとに分離していた機能を一台に統一した結果、公私にわたるさまざまな局面で生活と情報行動に深く関与するようになった。以前はさまざまな機器を用いて編集しなければ記録ができなかったが、スマホの普及によりその場で一台で記録を残せるようになった。また、オフラインの情報をオンラインで拡散させる「リアルハック」の試みが盛んになった。背景に、わたしたちが生活をより便利で豊かなものにしたいという欲求がある。しかし、そこには情報漏洩のリスクがある。2000年代前半まではネット上のサービスと実社会は切り離されていた。しかし、2000年代後半に1つのアカウントで複数のサービスを利用できるようになり、情報集約から現実の自分との結びつきが強まった。
<質疑応答>
質問1:6章のスマホが喚起する想像力を破壊することが重要
回答:ここでいう想像力は、スマホを持っているだけでオンラインでもつながりがあるということ。例えば、現在のゼミにおける誰かがLINEをした場合などの想像。母親たちの子育てにおける子供を注視する必要があるのに、スマホに注視することはよくないからスマホを持たないことでオンラインのつながりを否定、破壊することが重要ということ
質問2:日常とリアル空間をつなぐリアルハックは、衛星やGPSが目の前の現実を重層的にしたというものと同一であるか
回答:質問の通りである。
質問3:9章、母親たちの非言語的手がかりとは何か
回答:代表的なものは服装。母親らしい、らしくない服装は母親としての非言語的評価基準。スマホを触るのか否か、も子供に対する注意力の創造につながるもの。子供と親は基本的に別人格だが、母親と子供の行動は似ることからここもある。これらをもとに、子育ての価値観を判断
質問4:8章のオタクの人の満足度に関して、「創造性への原動力として機能している」の意味が知りたい
回答:オタクの人たちはマイノリティ(学校内の1,2割)。オタク文化を嗜好する人は、現実に不満があり、ここではないどこかを想像することにより、同一な存在の認識を仮定することにより「ここではないどこか」を想像する。それが「創造性への原動力」である。ここではない場所を作り、創造性につながる。
質問5:創造性とはオンライン上の世界のこと?
回答:オタク文化の人たちはオンラインを参照したオフラインを生きている。
オフラインに満足できないからオンラインに行く。
質問6:そのオンライン上の関係を求める全てが創造性?
補足:トールキンのファンタジー 『指輪物語』
空間的にはNZのような田舎
独自の作品世界、キャラクター 熱狂的なファン
さまざまなお話の世界とキャラクターが存在し、熱烈なファンはキャラと同じ世界に存在する自分を想像する。そのような人が何人か集まると、その世界の住人として語り合える。そのような人たちによる活動を「ファンダム活動」と呼ぶ。アメリカでは、年に1回カンファレンスをやるようになり、ワールドSFカンファレンスとなった。「スタートレック」のファン「トレッキー」たちが語り合う機会がある。日本では60年以上に集まり、ワールドSFに似たものとして「日本SF大会」が実施。当時SFは小説であったが、同人誌の交換もあったがその同人誌の交換のみを独立させたものがコミケ。
日本のコミケはSF大会よりも大きくなり、こうしたファンダムの中で特にアメリカでは、登場人物同士の関係を恋愛に捉えるブームがあった。これを「スラッシャー」とよび、日本では「やおい」や「BL」という展開につながった。
私(江下)にとって不思議だったのは、スカイツリーができた時に東京タワーとスカイツリーどちらが攻めでどちらが受けか2時間話した。最近ではおそ松さん、韓国ではオンラインゲームで流行っている。韓国では引きこもって餓死寸前まで行く人も。(ジウンさんわからなくて苦笑い)キャラクターをハッキングすることもあった。
オタク以外には難しいかもしれないが、大好きな作品には、自分を一人の住民として考えてしまうのはよくあること。ドラマなどでもよくある。たま劉潤慧
たま、情コミの日置さんの家族と近くに滞在したことがあり、日置さんの奥さんが江下先生と友人が語っていた中に入ってきた事例。誰も語る相手がいなくて奥さんは今しかないと思ってきた模様。
(4) 村川グループ
・発表者:鐘、村川
・課題本:ネット社会と民主主義(辻大介、2021)
・発表範囲:第6章 デジタルネイティブ世代は分極化しているか、第7章 SNSは他社への一般的信頼を損なうか、
[概要]
第6章
若年層の政治的分極化に関して、①若者の政治的意見が分極化している と、②逆に若者の政治的意見は中庸化しているという仮説がある。今回の章では、若者が政治的意見を持っていることを前提としない、若者無関心説を採用し、この仮説を安倍晋三首相への好感度に注目して検証した。結果、若年層の政治に対する好感度には、特定の感情を示さないことによる政治的無関心
第7章
インターネット利用、特にSNSコミュニケーションが一般的信頼に与える影響を検討する。インターネットの登場により、非対面の新しい人との出会いが登場した。また、インターネット上のコミュニケーションは空間や時間的制約を受けない。その結果、インターネット上の情報やサービスなどのあらゆるものに対する信頼度が重要になった。本調査の結果、SNS利用の活発さは、ネット上の信頼を高める効果を持つことがわかった。また、これを介してネット上の信頼と正の関連を持つ一般的な一般的信頼を醸成する効果がわずかではあるが持つことがわかった。
<質疑応答>
質問1:6章 Twitterの閲覧頻度が高い人が負の傾向を示す理由
回答:そこまで詳しい情報については載っていないので回答しかねる。
〈江下先生補足〉
・友人関係、恋愛
都市社会学がベース。地域と友人関係、
専業主婦の夫婦の夫の友人関係と妻の友人関係のケースが特徴的
夫は職場の友人関係が多く、退職後の孤独を味わって離婚への懸念があった。妻の友人関係は親戚、近所、学校関係等重層的で、ライフステージによる変化は特にない。夫は妻の友人関係に乗っかるのが良い
・ママ友マウントが細かいらしい
・ケータイのネットいじめ...渋井哲也
・都市社会学(江下先生の仮説)...都市は人間関係を最小化できる。都市はサービスが充実しているため、人間関係を外部化できる。これは孤独化と自由の両方を得られる。
都会...人口密度の高さ、構成の多様さ(マンションの隣人が誰かわからない等)
地方...近所の人と知り合いでないと、災害時や留守の際に重要になってくる。人間関係によってサービスを賄う。そういった意味でネット社会は都会的
・ケータイは通話と通話以外で意味が全く異なる。「関与シールド」は「儀礼的無関心」増強する。電車内でスマホをいじることは、周りに対する無関心の証明であり、最も都合の良い状況を作り出せる。
・「一般的信頼」...ソーシャルキャピタルには社会的ネットワーク、一般的信頼、互酬性の規範の3つがある。
・一般的信頼の反対
個別的信頼。国際比較すると、日本社会はアメリカ社会に比べて一般的信頼が低いということがわかっている。日本では信頼と安心が違うという指摘がある(山岸俊男)
経済的視点から、一般的信頼を前提とすると、新しい業者から安く提示されると乗り換えられる(機会費用の削減)
・機会費用 高卒で働くか大卒になるか
機械費用で計算すると、大学の授業料だけでなく4年間高卒で働いた際の給料についても考える。
・社会関係資本
現在の社会ネットワークの関係...紐帯(Tie)
紐帯には強い紐帯と弱い紐帯がある。交流機会にベースがある。
都市社会学では調査が盛んに行われているが、強い紐帯ばかりが調査される(弱い紐帯ネットワークは質問紙調査においていつも意識しない人々を分析しなければならない)昔は年賀状で調査していた。
・グラノベッター "The Strength of Weak Ties" 弱い紐帯のネットワークから入ってくる情報には情報の多様性が存在する。全く知らない
・日本における転職と紐帯の関係性
アメリカは弱い紐帯の人の情報が転職に成功、日本では強い紐帯の人の情報が転職に成功
日本では転職は仕事に失敗したことの象徴、身分補償が必要だった。一方、大学教授や出版業界といった転職が当たり前の業界ではアメリカと同様であった。
・強い紐帯と弱い紐帯は表裏一体で、バランスが重要
〈高橋先生補足〉
・ママ友ネットワーク
自発的というよりも、地域の保健師さんたちが背中を押したという側面もあった。母親の孤独による虐待などを防ぐといった目的が1990年代にあった。SNSやケータイの登場により変化も。常に付き合う、子育てに関する考えや生活水準といったものによる違いがあったが、子供を思うとママ友ネットワークから抜け出せないということもある。
2 反省
議事録を作るという作業に慣れていないこともあり、ただ発表の内容を羅列するだけで冗長なものになってしまった。また、議事録だけではなく発表も含めて、如何に初めて読む人にわかりやすくまとまった文章を書くことが難しいのかを、身をもって体感した。
作成:村川
編集:三浦