2022年度問題分析ゼミ第18回の議事録です。
日時:2020年10月18日(火)15:20-18:20
会場:リバティータワー1141教室
参加者:17名
江下、高橋、山岡G(5名)、村川G(3名)、米田G(5名)、三浦G(4名)
欠席者:3名
遅刻者:1名
早退者:3名
1 グループ発表
(1) 村川グループ
・発表者:村川
・課題本:『『炎上社会を考える』―自粛警察からキャンセルカルチャーまで』(伊藤昌亮著、2022)
・発表範囲:第1章 「自粛警察と新自由主義」
[概要]
「自粛」の意味が戦時下とコロナ禍で価値観の変化と伴い歴史的に変わってきている。新自由主義が台頭したことにより、強者志向の傾向が強まって決断主義が目立つようになった。また、弱者と強者の定義が難しい局面が出るようになってきた
〈補足事項〉
行動自粛の顕著な事例として、昭和天皇のなくなる直前が挙げられる。1988年の12月ごろ昭和天皇が重体になり、ニュースで吐血や下血、輸血の状況が報道された。当時、年末ということもあり忘年会が自粛された。また、日産のテレビコマーシャルでは、車の窓を開けて「お元気ですか」というものもあったのだが、非難を浴びて自粛された。その際には「こんな時期に忘年会をやるのはいかがなものか」、「天皇の状態でこのようなCMを流すのはいかがなものか」というように、はっきりと「けしからん」「好ましくない」とは言わない表現が用いらえた。考えればわかるだろう、という圧力を意味していると考えられる。
発表内で名前が挙がった安田純平さんは情コミで講演に来ていただいたことがある。常岡浩介さんも情コミに講演予定であったが、その前に拉致されてしまった。2人は「自分たちは自己責任で危険であるところに行っている、最悪殺されることもわかっていて家族に伝えている。しかし、自己責任だと責める人々が自己責任であることを認めてくれない」と口をそろえて言っていた。
(2) 山岡グループ
・発表者:田島、荒木
・課題本:『『ぴあ』の時代』(掛尾良夫著、2013)
・発表範囲:序章、第1章 『ぴあ』の胎動
[概要]
序章
総合情報誌である『ぴあ』は60年代のアンダーグラウンド・カルチャーの空気を受けながら1972年に矢内廣と仲間たちによって創刊された。そして、2011年に事実上の廃刊をした。
第1章
矢内廣の小学生から大学時代に注目し、各場所で出会った人物が創刊メンバーになったことを述べる。また、反体制運動が消極化した時代の空気感を読み取り、『ぴあ』創刊につながった。
〈補足事項〉
60年代の時代背景を理解しておいた方がいい。アメリカで顕著であったヒッピーブームというのがベトナム戦争に繋がっていっている。これらの担い手は若い物であったために、ヨーロッパや日本にも伝わってきた。特に劇場に影響し、「アバンギャルド」「アングラ」といったキーワードがある。アングラは小劇場を好む人々のファッションを指すとされる。アングラ文化というのはサブカルチャーであり反大戦運動を象徴するカウンターカルチャーである。
ぴあを好んだ若者は若者全体を指すのかエリート層を指すのか。当時、大学へ行っている人間は少数であり、学生運動が激化したときの学生はエリート層を指すと言える。この時、同時に労働運動もなされていたが、結果として時期がずれて学生運動が浮き出るということになった。一方アメリカはベトナム反戦運動が重なり、フランスの場合は労働運動がなされて、密に連携した学生運動も激しくなった。日本の60年代はデモ・ストがおきる激しいうごめく時代であったのだ。また、アメリカンニューシネマはこの時代の雰囲気に影響されて「アンチヒーロー」「バッドエンド」といった特徴を持つようになった。
(3) 米田グループ
・発表者:斎藤、米田、劉
・課題本:『メディアと日本人--変わりゆく日常』(橋元良明、2008)、『テレビ的教養』(佐藤克己、2019)
・発表範囲:終章 メディアの未来に向けて、序章 「テレビ的教養」を求めて、第1章 国民教化メディアの1925年体制
[概要]
終章
メディア間で単純に侵食現象が進行しているわけではなく、在宅時間の中で、メディアへの時間配分が変化していることを示す。特に、インターネットが他のメディアを完全に代替しているわけではないことに注目する。
序章
教養のメディアとしてテレビを論じる研究が少ない中で、格差社会や教育再生が叫ばれる今こそ「テレビ的教養」を考える必要性についてと、「教養」の定義について述べる。
第1章
日本におけるテレビ放送の前史であるラジオ放送における「教養」と「教育」の扱われ方と発展に寄与した西本三十二について述べる。また、「一億総中流化」を推進した経緯を放送教育運動の連続性から明らかにする。
〈質疑応答〉
質問1:番組の4分類の割合は番組全体を指すものであるのか。
回答:番組全体における割合である。
質問2:当時のテレビ教育の目的は何か。
回答:学校教育を補助するためのものであった。
〈補足事項〉
放送法で本放送と教育放送の免許の2種があった。一般的な放送は厳しく、教育放送は学校教育の補助を行うというものであった。テレビの事業免許の実態がゆるくなってきて、学校教育のコンテンツから教育的なことがあれば何でもよくなっていた。
(4) 三浦グループ
・発表者:飛世
・課題本:『「若者」とは誰か―アイデンティティの30年』(浅野智彦、2019)
・発表範囲:第1章 アイデンティティへの問い
[概要]
アイデンティティはかつて皆当たり前のように持っていたために、それを問うことがなかったが、消失してきたために今日では問いただされている。アイデンティティの捉え方として統合的アイデンティティと多元的アイデンティティというものがあり、両者は緊張関係にある。
〈質疑応答〉
質問1:エリクソンが「現代の」プロテウスたちと「現代」に限定した理由があるのか。
回答:彼らの時代ではアイデンティティがあることが当たり前であり、現代のアイデンティティが失われている時代のことを指したからである。
〈補足事項〉
統合的アイデンティティと多元的アイデンティティの違いは難しい。アイデンティティとは自分が何者かを認識するときの自己イメージの統合である。一方で、社会的役割を統合的に把握していると考えると、多元的アイデンティティも役割を満たしており統合された状態と捉えることもできる。
かつては身分制があったから、自分が問わなくても自分が決まっていた。しかし、近代化で自由が増えた分、自分というものが何者かが問われるようになった。場面ごとに自分がどのようにキャラを演じるかが流動的に分化してきている。
階級社会の中でその人の役割が決まるマクロの考え方と、日常的な個々の話はミクロの考え方がある。キャラを演じるということは、2つの捉え方ができるのだ。
また、日本人のアイデンティティを考えた時に特徴的であるのは、家族間で子供を基準に自称が異なるものがある。これは、固有のアイデンティティではなく、子供中心の家族関係と位置づけが作用していると思われる。
リースマンの考え方はかなり古典的なもので、シンプルで明快で非常に説明として使いやすい。人口の増加パターンにおいて人々の価値観と関係があるように思えるが、そこには世の中の経済状況も関わっていることを留意しなければならない。
2 反省
歴史的記述も多かったことからか、質問があまり挙げられなかった。時代背景を確認することでさらなる理解を得たいと思った。
作成:米田
編集:三浦