2023年度問題分析ゼミ第2回の議事録です。
日時:2023年4月25日(火)15:20-18:50
会場:リバティータワー1141教室
参加者:20名
江下、許田G(5名)、阿部G(5名)、内山G(5名)、福井G(5名)
欠席者:0名
遅刻者:0名
早退者:0名
1 グループ発表
(1) 許田グループ
・発表者:小田中瞳玖、石上蓮、石田 莉璃
・課題本:柳下毅一郎『興行師たちの映画史』
・発表範囲:第2章 エキゾチズムと偽ドキュメンタリー
:第3章 魔術師の映画 フーディーニからキートンへ
:第4章 フリークショー映画の栄華
【概要】
「第2章 エキゾチズムと偽ドキュメンタリー―2 クーパー/ショードサックの冒険映画」
エキゾチズムの本質は異質なものがかもしだす好奇心であり、冒険ドキュメンタリーの体裁を取って"野蛮人"の蛮習をでっちあげる映画が一時期大量に製作された。出来合いの映像を元に商売をしようとするエクスプロイテーション作家たちにとって、話を作ることも現実を再構成することも、あくまでエンターテインメントとして観客を楽しませるために必要な工程にすぎなかった。
「第2章 エキゾチズムと偽ドキュメンタリー―3 ヤコペッティとモンド・ムービーの誕生 エキゾチズムと偽ドキュメンタリー」
猟奇残酷オムニバス・ドキュメンタリーであるモンド・ムービーというジャンルが誕生し、残虐行為に限らず、珍しいものや出来事をつなぎ合わせるだけで一本の映画が出来上がるようになった。加えて、元々、よりショッキングなものを求めてはじまったはずのフェイク・ドキュメンタリーは、いつの間にか手の加えていない生の素材を使うようになっていき、観たことのないものを観たいと願う観客との共犯関係こそがドキュメンタリーという幻想を成立させていた。
「第3章 魔術師の映画 フーディーニからキートンへ」
魔術師フーディーニは映画というメディアを利用して自身の「神話」を作り上げる事に
成功し、現実とフィクションの境目を観客からはわからなくさせた。その姿勢はオーソ
ン・ウェルズとバスター・キートンに受け継がれ、アクション・スターとしての一面はジ
ャッキー・チェンに継承され今に至っている。
「第4章 フリークショー映画の栄華」
当時最高の見世物映画として君臨していた映画はフリークショーである。フリークとは奇形等を指す言葉であり主に身体に異常を抱えた役者が出演していた。その最高峰は『フリークス/怪物』であり、この映画はハリウッドで最も呪われた映画と呼ばれ、数十年間上映禁止とされるほどだった。また監督であるトッド・ブラウニングの関心は奇形へと向いており、彼にとって奇形者は見世物を最も効果的に見せる為の演出にすぎなかった。後に異形によって恐怖を与えるフリーク映画から演出によって恐怖を与えるホラー映画に派生し、奇形であるがゆえにきれいな心を持つといった感動系のフリーク映画に発展することになった。
【質疑応答】
質問1:アクション・スターとしての側面がジャッキー・チェンに通じるとあるがどういう風に通じたのか?
回答:フーディーニとジャッキー・チェンの両者にはただひたすらに体術を見せることがショーとして成立するほどの強烈なアクション性があったということ。※補足➀参照
質問2:フェイクドキュメンタリーという形で放送されたことで実際に勘違いを起こした人々はいたのか?
回答:ウェルズの『宇宙戦争』では緊急放送という体で放送したため、一部の住人がパニックに陥った。※補足②参照
【補足事項】
道徳的な葛藤と自身とは違うものを見たいという欲求を突いたのがフリークス映画でありかわいそうだ・聖なるものという認識は差別意識を覆い隠してしまう問題がある。その筆頭が『エレファントマン』『ジョニーは戦争に行った』といった作品である。さらにモンドムービーは基本的につまみ食いの形式を採用しており現在のショート動画との類似が指摘されている。またフェイクドキュメンタリーは現代ではどういうコンテンツとして存在しているのかといった議題は現在も一考に値するだろう。
➀アクション・スターとしての継承はジャッキーチェンの前にブルースリーが先である。前提はブルースリーの正当なアクション映画であり、ジャッキー・チェンはそれのパロディー的な解釈によってアクション・スターとしての地位を確立した。
②上記で『宇宙戦争』におけるパニックが発生したとあるがパニックが起きたというニュース自体がフェイクニュースであったというのが有力な説である。
(2)内山グループ
・発表者:菅井未結、池村享介
・課題本:『新版ハリウッド100年史講義』
・発表範囲:第2章 夢見るハリウッド
:第3章 古典的ハリウッドの成熟
【概要】
「第2章 夢見るハリウッド」
資本力の増強、産業体制の構造化、社会的認知の拡大によって映画制作は、監督からプ
ロデューサーが主導していくようになった。20年代は、サイレント全盛期だったが、3
0年代に入ると音や色、その他新しい技術が映画に加わり、映画の内容が改めて注視され
るようになった。さらにプロダクション・コードによって映画業界による自主検閲が行
われた。そして公的に認められた文化となったハリウッド映画は、文芸作品の映画化を推し進め、誰もが認める「ザ・アメリカ文化」へと成長していった。
「第3章 古典的ハリウッドの成熟」
大衆文化として成長した映画は第二次世界大戦や冷戦によって衰退していく。しかし戦争による国を超えた交流と人々の感情の変化が物語映画の発達を進める事となった。その基盤は主観の多層化による物語の複雑化と技巧の派手な前景化にある。
【質疑応答】
質問1:アメリカの第二次世界大戦の参戦をそそのかしたとあるがそれは政府主導のものか?
回答:本に記載なし。
質問2:カラー映画が発達したことによるメリットは何か?
回答:撮影に必要なフィルムが3枚から1枚になり、必要な工程が削減された。
質問3:不況の時代に娯楽は優先度が低いのになぜ上映されていたのか?
回答:本に記載なし。 ※補足③参照
【補足事項】
西洋の社会におけて第一次世界大戦は重大な転換点であったことに留意する。大戦の結果覇権がイギリスからアメリカへ移り変わったのが1920年代であり、その時代はジャズエイジと呼ばれている。ヨーロッパでは男性人口が激減し、女性の存在感が高まった。その筆頭がシャネルが牽引するファッション業界である。一方アメリカでは景気が高まり、上昇志向が表れていたことが当時の「ザ・アメリカ文化」の形成に強く関わっていた。
③ちなみに30年代以降は不景気な雰囲気の影響をハリウッドも受け、一時的に映画産業が衰退したがその変わりにラジオ放送がメインストリームになった。映画業界の人材がラジオ業界に流失したことでのちに音声付きの映画を制作する際にラジオ業界のノウハウが流用されることになった。
(3)福井グループ
・発表者:藤原 彩乃
・課題本:『ビデオランド』
・発表範囲:第1部 レンタルビデオの歴史と文化 第2章 実践的な分類
【概要】
ビデオストアの空間形成は主に外観と店内づくりによって行われた。特に映画の分類に
は各ビデオストアの美的判断が現れていた。そして、それらの空間形成は、人間が媒介とな
るさまざまな社会的な相互作用を促し、再構築した。
【質疑応答】
特になし。
【補足事項】
ビデオストアにおいて作品はカテゴリーごとだけでなく出演している俳優や監督によって
、メイン分類サブ分類といった形で分類、レイアウトされている。また店のレイアウト自体がストーリー仕立てにデザインされていることも多く、大規模な企業なら特にその傾向が強い。さらにビデオストアのような実在する店舗だけではなくサブスクリプションでも同じようになっている。関連作品のレコメンデーションは利用者の視聴する作品の傾向を予測して表示されている。これはお客さん個人にデザインされた棚が並んでいる状態であるといえるだろう。よって「サブスクリプション以前と以降でどのような違いがあるのか?」「サブスクの時代になったときどうやってコンテンツにめぐり合わせるのか?」といった疑問に対して考えを巡らせておくことはこれは今後のビジネスを考えるにあたって非常に重要な論点である。
(4)阿部グループ
・発表者:細野百合愛
・課題本:『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ コンテンツ消費の現在形』
・発表範囲:第2章 セリフで全部説明してほしい人たち みんなに優しいオープンワールド
【概要】
近年、1から10まで状況や感情のすべてをセリフで説明するという作品が増えています。その背景には、「わかりやすい」ことが喜ばれる世の中の風潮や、SNSでどうしても目立ってしまう観客の幼稚な感想や批判などがあります。そんな中でいかに「わかんなかった、だからつまらなかった」と言わせないための観客みんなに「優しい」脚本や物語の作り方というものが必要になってきています。常に覚えておいてほしいポイントは、観客が観終わった後に「わかんなかった、だからつまらなかった」となってしまうことを制作側は非常に恐れているという点です。それを言わせたくないという考えが根本にあってそれがやたら説明やセリフの多い作品たちが増えている1番の理由とも言えます。 ※補足④参照
【質疑応答】
特になし。
【補足事項】
上記の「わかりやすい作品」と「わかりにくい作品」はそれぞれ以下の用語で説明できる。
ローコンテキスト―直接的 文化に対する理解がなくても理解できる意味
ハイコンテキスト―婉曲的 文化に対する理解が深くないと理解できない意味
つまり分かりやすい作品というのはローコンテキストに分類され、わかりにくい作品はハイコンテキストに分類される。ハイコンテキストな作品の場合、ある文化に対する理解が必要なため敷居が高い作品であると言える。また昔は現在と比較して作品の絶対数が少なかったためハイコンテキストが成立しやすかったという側面もある。
④ハイコンテキストな作品を十分理解するには共通の文化背景が必要になる。ただ今のコンテンツは世界市場を狙っているため、観客の文化的共通項がどうしても小さくなってしまう。よって作品の傾向がローコンテキストにならざるを得ないということにも留意すべきである。
2 反省
今回の発表では前半の2班に時間を使いすぎた結果、後半の2班に対する質疑応答の時間が比較的短く、あまり議論が進まなかったように思える。よって各班が1つの発表につき15分以内という制限時間を厳守することが肝要だろう。
作成:阿部
編集:内山