日時:2023年11月28日(火)15:20-18:50
会場:リバティータワー1141教室
参加者:12名
江下、許田G(2名)、阿部G(3名)、内山G(3名)、福井G(3名)
欠席者:8名
遅刻者:2名
早退者:1名
1 グループ発表
(1)許田グループ(1班)
・発表者:小田中
・課題本:『族の系譜学―ユース・サブカルチャーの戦後史』(2007)
・発表範囲:第10章『族の末裔としての渋カジ』、第11章『渋谷系というテイスト・ジャンル』
【概要】
第10章
ファッションとしての渋カジは、カジュアル優位の流れを決定づけ、その中での細分化が極度に進行する事態の始発点であった。一人のデザイナーが手掛けるDC ブランドからオーソドックスな高級インポートブランドをアイテムとして用いながら着る側のアレンジを重視するストリート発、セレクトショップ発のスタイルへの移行であった。また、ワイルドなスタイルが流行したのは、ポスト団塊世代のユニセックスでクリーンなスタイルへの反動から来ており、アメカジ以降続くストリート・カジュアルのブームは団塊ジュニアの重大しかできない格好をするという価値観に支えられていた。渋カジは「街が生んだスタイル」であった。
第11章
1990 年代前半にはレコードを渉猟し、テイストを共有する人と繋がるために街を訪れる必然性があり、そうした人々によって渋谷での音源の売上はマスメディアに媒介された全国平均値的なものとは異なっていた。そして音楽のみならず、ヴィジュアル表現でもマスメディアやマスプロダクツに対してオルターナティブであろうとした点が、渋谷系の非通念性の源泉であった。しかし、渋谷系を一つの音楽ジャンルになりファンダムが広く薄く広がっていく中、その独自性や求心力を失っていくと、文化空間としての象徴性を喪失した渋谷は何らかのこだわりを持って接すべき個別具体的な場所というよりも、ファッションや音楽などのデータのランダムな集積地と化していく。
【質疑応答】
特になし
【補足事項】
・"渋カジ"は、変化が激しいため、日本のユースカルチャーの中で最も複雑である。
・チーマー(チーム)...主に男性で構成される。
・1988年以前と1989年以降で扱いが大きく異なる。
・元々は、付属高校のパーティーのチケット販売で収益を上げるグループを指す。
・収益をファッションに使う⇒女子にモテるように⇒女子をめぐるトラブル
・付属高校生がトラブルの用心棒として不良を利用するようになる。
・ストリートギャングの性格が濃くなる。
オリーブ少女
・付属高校生の女子を指す。
・「オリーブ」...女子高生を特集する雑誌
・オリーブ少女とコギャルの関係性は、チーマーと不良たちの関係に似ている。
カジュアル
・80年代:大学生の増加⇒カジュアルの普及(高校生:制服、社会人:上品な通勤スタイル)
・本来、トラッドに流行は存在しえない、上の世代からすべて引き継がれる。
・70年代以降、トラッドのファッション化が進む。
・日本は洋服の着こなしに伝統・お手本が存在しない。アメリカ・ヨーロッパから着こなしを全て輸入してきた。⇒トラッドというファッションを形成
・「街中に出歩く時のお洒落なスタイル」
・街中=見知らぬ第三者の目に触れる場所
・女性の社会進出に伴って、通勤時に便利なカジュアルが浸透していく。
団塊ジュニア
・親世代が洋服のお洒落に慣れていた初めての世代
・輸入物でない新たなファッションの形成=カジュアル、フリースタイル、"渋カジ"など
・トラッドを無視し、ファッションスタイルの自立性が確立された(従来:いかに雑誌の流行を取り入れるか=お洒落)。
・ファッションを楽しむことができるのは、時間とお金に余裕がある大学生
・80年代終わり:付属高校生が加わる
・付属高校生はどんなに成績が悪くても、大学進学が確約されていた⇒時間に余裕がある+実家に金銭的余裕がある
・有名大学の付属高校は都心に位置していたので、日常的に渋谷に出入りしやすい。
・大学に高校からの先輩がいるので、高校のうちから大学生の文化に触れられる。
・ディスコを会場とした文化祭の打ち上げや卒業式の打ち上げなどのパーティーがブーム
渋谷系
・「インターネットがない時代だからこそ」発達した。
・マイナーレーベルのCDを手に入れるには、現地まで出向かなければならない。
・渋谷:タワーレコード、HMVなどが集中="音楽の街"に
(2)阿部グループ(2班)
・発表者:阿部
・課題本:『「キング」の時代』(2020)
・発表範囲:第5章、結
【概要】
出版史では1930年代は「出版の受難時代」として受け止められている。軍国主義による出版統制の強化や戦争の激化の影響は戦前、戦中期の出版を語る際欠かせないファクターであり、『キング』は「国民雑誌」として定着した。
【質疑応答】
特になし
【補足事項】
・雑誌は積極的に戦争の熱をあおった。
・戦後になって『キング』はその役割を終えた。
・雑誌:最初からターゲットが明確なメディア
・総合エンタメ誌として創刊されたが、人々の好みは共通しない⇒自分の好みに合わせて他の雑誌に移っていくのは自然な流れ
・戦後は、ラジオが国民的メディアとして台頭した。
(3)福井グループ(4班)
・発表者:福井
・課題本:『「平凡」の時代―1950年代の大衆娯楽雑誌と若者たち』(2008)
・発表範囲:第4章2節『読者組織「平凡友の会」の人びと』、第5章『もうひとつの戦後社会論に向けて』
【概要】
「平凡友の会」は、当初に文通、最盛期に支部活動を通して、当時の若年層が求める娯楽を
提供した。そして、そこには「受け手」「送り手」「スター」の三者それぞれの意図が交差し
ていた。
『平凡』は、そのメディア的特質と読者層の特質から、過渡期的メディアとして位置づけら
れ、二項図式を無化していくという1950 年代の時代精神の象徴である。
【質疑応答】
特になし
【補足事項】
結節機関
・関係形成が期待される空間(学校、バイト先など)
・『平凡』も結節機関としての役割を持っていた。
・『平凡』以前にも結節機関となる雑誌は存在していた(『少女の友』のともちゃんサークルなど)。
・50年代にはサークル活動が顕著にみられる。
・「若い根っこの会」...これ自体が結節機関として結成された
・「平凡友の会」...結節機関としての『平凡』の一種のアウトプット
・60年代には、衰退していく。
・他の結節機関(学校など)で事足りてくる。
・大衆の好みが細分化される⇒総合誌としての限界
・ターゲットを明確に細かく設定した雑誌が台頭してくる(音楽雑誌など)。
・90年代には個人広告のみを取り扱う雑誌も登場した。
・現在は、インターネットがその役割を担う。
2 反省
各班3つ目の輪読本の最終回だった。これまでの流れを汲みながら、雑誌やサブカルチャーについての考察を一層深めることができたと思う。
作成:福井
編集:内山