2024年度問題分析ゼミ第2回の議事録です。
日時:2024年4月23日15時20分~19時30分
会場:リバティタワー1141教室
参加者:19名 江下、川西G(4)、香山G(5)、武川G(5)、茂木G(5)
欠席者:0名
遅刻者:0名
早退者:0名
1 講義
メディア史理解のための基礎
§2 何かを伝えるメディア
§1報道メディアの競合と棲み分け
1930年当時の報道メディアは新聞社、ラジオ放送、映画であり、ラジオ放送局と新聞社はニュース配信を巡って対立関係にあった。米国では、この対立を解消するために供給源としてPress-Radio-Bureauを設立したが、失敗に終わった。そこで新聞とラジオ放送の中立として通信局が現れる。通信局は新聞社、ラジオ放送の両方に情報提供を行った。また、世界の新聞社を顧客に国際報道で重要な役割を果たした。更に1950年代には、テレビという新たなメディアが登場する。当初のテレビはアナウンサーが原稿を読むだけという形であったが、徐々にグラフなどの視覚的要素を取り入れ、他のメディアと差別化することに成功した。しかし、後にテレビニュースのバラエティ化が強まり、イエロージャーナリズムが急速に進行するなどの問題も生じる。また、テレビの歴史として重要なのが24時間ニュースの登場である。湾岸戦争をCNNが生中継したことをきっかけに、24時間ニュースに注目が集まり、放送局の国際競争が始まった。
§2 オルターナティブ・メディア
プロになるためには、労働運動など権利要求する組織が、主張を広げるために定期刊行物を発行し、そのような商業ジャーナリズムを支える市場が形成され、定期刊行物の発行元がプロのジャーナリストを育成するというプロセスが重要になる。実際にこのようなプロセスを経て、女性ジャーナリストが誕生した。
商業ジャーナリズムの成立基盤は流通経路の独占による確立であった。産業側がコンテンツを購入し、提供側が高コストの情報流通経路を購入するという流通経路の独占が、収益構造の確立に結びついたのである。しかし、デジタル化により大衆ジャーナリズムの時代が到来すると、情報流通経路の独占が崩壊された。スマホやソーシャルメディアの普及によって、あらゆる人が周辺を記録しシェアできる時代になり、情報流通経路が複雑化したのだ。現在は業界構造再編成の過渡期であり、メディア環境に即したビジネスモデルの模索が求められている。
§3 おしゃれを伝えるメディア
おしゃれを楽しむ人々、おしゃれの発信源、おしゃれを伝える媒体は時代とともに変化している。王侯貴族が発信者の時代では、おしゃれは特権階級的なものであり、そのおしゃれを伝える媒体として、人形や銅版画が用いられていた。しかし、次第におしゃれは王侯貴族だけでなく、お金持ちの人にも広がっていく。その時代にはデザイナーが発信源となり、モード誌がおしゃれを伝える媒体になった。そして第二次世界大戦後、大衆が消費の主役になると、アパレル産業が台頭し、大衆がおしゃれを実践する時代になっていく。ここで媒体となったのがファッション雑誌である。戦後の日本では、洋服は作るものという認識がなされており、女性は服飾誌を参考に洋裁をしていた。しかし、石津謙介がアイビーファッションを提唱し、VANジャケットを創業、そしてそれを雑誌men's clubとのコラボで情報を拡散したことで、日本初の既製服市場が雑誌と共に構築された。また女性誌では、「ELLE」のスタイルを真似した「an・an」が創刊されると、作るための雑誌ではなく、参考にする雑誌が世の中に浸透していく。また、競合誌「non・no」の登場でファッション雑誌が定着した。その後ターゲットごとに様々な雑誌が創刊されていった。
2 反省
質問する人が限られているので、自分も含め質問できるようにしていきたい。
作成 川西
編集 川西