2024年度:問題分析ゼミ[3]

日時:2024年4月30日15時20分~18時00分
会場:リバティタワー1141教室
参加者:19名 江下、川西G(3)、香山G(5)、武川G(5)、茂木G(5)
欠席者:1名(森田)
遅刻者:0名
早退者:0名

1. 講義
メディア史理解のための基礎
§3 ソーシャルなメディア

§3.1 「つながり」を認識させる機能
メディアの出現により、時間と空間の制約が取り払われ、共通の関心を持つコミュニティが形成された。利用者の認識に依存して一方向のメディアでも機能することが明らかになった。例えば、コインランドリーでの心配や悩みの共有、渋谷駅のトイレ落書きのスレッド化、マタニティ雑誌の投稿欄による本音トークのやりとりなどが挙げられる。これらは、一方通行のメディアであるがソーシャルな関係が成り立っているという例である。また、ポケットベル端末が中高生に普及し、数字の語呂合わせのチャット文化が生まれ、これが後の携帯に継承された。アマチュア無線家たちは、空間を超えた交流から発展したオフ会など、様々な形でコミュニティが形成された。これらのメディアにおけるコミュニティ形成の例は、共通の関心事を通じて相互の認識を生み出し、メッセージの連鎖により相手とのつながりを認識させて直接の対話はなくとも連帯感を築く機能を持っている。

§3.2 コンヴィヴィアルな道具
コンピューターは1994年にアメリカで誕生した時点では軍事的目的で利用されていて、さらにIBMが事務管理でも利用し始めたことから、コンピューターは管理社会の象徴とされていた。しかし、パソコンは「convivial」な道具で、そのためには各自がそれぞれのコンピューターを持つべきであるという思想が生まれた。その具体化の動きの一つが、1975年に発足したHomebrew Computer Clubである。このクラブから、Altair8800やApple 1、Osborne1などのハードウェアが誕生した。次に、1976年2月にW.ChristensenとR.Suessという2人のハッカーが作ったCBBS/Cという電子掲示板によりハッカーたちの間でPDSアプリの開発が促進され、1984年時点で2000局もが活動した。趣味により細分化されたこれらの交流は、後のSNSに通じる活動形態を生み出した。この流れが90年代半ばのインターネットに合流した。民間のインターネット接続ができるプロバイダーが開放された1993年当時は、パソコンユーザーの25%が個人のホームページを所有するほどホームページが流行した。中でも9.9%のユーザーが利用していた目的は日記であったのだが、身辺雑多的な内容を綴った日記の数は増えていき、やがてその中で面白い日記のリンクを集めた「日記リンクス」という津田優によるリンク集までできた。これが、他者の閲覧を前提とする日記が登場した経緯である。ここでいう日記とは、感情を述べ読者は自分自身である日記=diaryとは異なり、事実を述べ読者は他人である日記=journalである。日記文化の拡大は、レンタル日記サイトの登場などからも窺える。これらの日記が進化したものがブログである。ブログは元々アクセス先URLの備忘録的な記録をしたWebLogが由来で、2002年ごろから簡易的な日記を書くツールとしての利用も出てきた。日本では、2005年時点でブログサイトの国内利用者が延べ335万人以上となり、ページビュー数でいうとYahooなどの検索ツールの数字を上回る事態にもなった。ブログが発展することで、ソーシャルな使い方をするSNSも誕生した。初期のSNSは、コンピューターを媒介とするコミュニケーションで、利用者の相互リンクのもとで利用するブログのようであった。総務省は2005年に発表した「ブログ・SNS(ソーシャルネットワーキングサイト)の現状分析及び将来予測」でSNSとは「新たな友人関係を広げることを目的に、参加者が互いに友人を紹介し合い、友人の関係、個人の興味・嗜好等を登録していくコミュニティ型のウェブサイト」と定義づけた。これが、日本ではmixiのような2000年代初期のSNSに繋がり、SNSが日記コミュニケーションの主役となった。

2. 反省
学生が集中して話を聞く姿勢を取れていないように感じた。積極的に疑問に思ったことは聞いていき、理解を深めるための態度を意識する必要があるのではないか。

作成 大橋
編集 川西